ミルトン・エリクソンMilton Erickson2

 最近、やらねばならないこと全般に手を付ける気力がなく、エリクソンの本を読み進めている。彼の治療のやり方はもうあっぱれとしか言い様がないし、「すっげぇ」と息をもらしたり爆笑したりしながら事例に触れている。中でも驚愕してしまうのが、観察眼の鋭さだ。顎だか首だかを外から見るだけで脈が分かるとか、女性の顔に現れる僅かな変化(たしか薄い斑点か何かだったと思う)で妊娠を言い当てたりとか、はたまた、小説の一ページ目を読んで結末が分かってしまうとか、一通の手紙から尋常でないほどの書き手の情報、状況を見抜いてみせたりとか、ドアを隔てた向こうに居る秘書のタイプする音を聞いて「あ、旦那さん(出張から)帰って来たんだね」と言ってみせたり、もうピックアップし始めたら枚挙に暇がないし、彼に関する本を開けば、私が気付けないような鋭さもそこら中に散らばっている。何も「オレは鋭いんだぜ」ってことを見せつけなくても、エリクソンみたいにさり気なーく、害の無いことを言ってみせたり、はたまたこの授業の先生のように、ちょっとした先回り(準備)をしておいて観察眼があると思わせたりすることで、正直な空間が出来上がる。
 エリクソンは恐るべき観察力をちゃめっ気精神からチラっと見せてみたり、患者を治療する際の一助としたが、いつだったか、TBSで深夜放送される「CBSドキュメント」で、観察眼を売り物にしたショーをやっているおじさんを紹介していた。観客から5人くらいの人を舞台に呼び、絵を描かせる。その内の一枚を手にとって、5人それぞれの面前に持ってゆき、「これはあなたの書いた絵ですか?」と一通り訊ねる。その際、絵が誰のものかばれないよう全員が「No」と答える。だが、各人の否定の微妙な違いでこのおじさんは、どのNoがウソかを的確に見抜く。そしてもう一度全員に同じように質問をしてみた後、彼は誰の絵かを言い当ててみせるのだ。この人が見ると、ウソをついている人はほぼ確実に分かるんだそうだ。この人のウソを見抜く精度は恐らく、「嘘発見機」(今一度変換したら「嘘発券機」と出て来たけれど、こういうのがあっても良いかも知れない)と呼ばれる機器よりは断然高いだろう。まぁしかし、「白/黒ハッキリしないこと」ってのが世の中にはあるので、どっちつかずの質問に対する反応を下手に「ウソ」だの「ホント」だの断定されたくはないものだ。
 さて、エリクソンに戻ろう。彼は何でもかんでも「肯定」という方向に持って行く。例えば「怒り」。これは物凄い生物学的なエネルギーだが、ともすると「怨み」「怨恨」になりかねない。だが彼の怒りのエネルギーは完全にポジティブなものだ。エリクソンは17歳のとき、ポリオに罹ってしまった。かなり重症だったらしく医者は彼が寝ている隣の部屋で、母親に「この少年は明日までもたないでしょう」と告げる。それを聞いた少年エリクソンは激怒。「息子が朝までに死ぬ、とその母に告げるなんて! とんでもない!」という具合に。注意すべきなのは、彼が無神経な医者を恨んでいるのでは決してないということ。少年はこの怒りのエネルギーを、「母を悲しませない」つまり「生きる」ことに傾けた。こうしてエリクソンは死の淵から生還したと言う訳だ。だから彼は時として、患者を「激怒」させ、そこで生じるエネルギーをポジティブな方向へ持って行ったりする。
 例えば、ある手足が麻痺したドイツ系の男性にエリクソンはいきなり、「お前なんて宛てがわれたベッドに寝ているだけのナチスのブタだ!」など、尽きぬ罵詈雑言を浴びせた。自分の身体を治してくれると聞いてやって来たのに、いきなり変なじいさんから侮辱される。信じられないくらいに怒ったことだろうし、またかなり混乱したことだろう。何はともあれ、身体が麻痺しているのにも関わらず、彼は必死に這いずり回って部屋から出ようとした。これを何度か続けている内に、なんとこの人は歩けるようにまでなってしまったのだ。(先生談:治療が終わり、毎回面接で悪口を言いまくっていたエリクソンとこの男性が抱き合っているのを見たとき、奥さんの頭の中は「?」だらけだったことだろう。)少しバックグラウンドを記してしておくと、この男性は独立性の強いタイプで、確か会社かなんかを設立してバリバリ働いていた。しかしある時倒れて病院に入って以来、どんどん身体がダメになって行ってしまった。何故か? もちろん病気だったというのもあるだろう。しかし、病院での手厚い看護(赤ん坊のような扱い)で彼は脱力してしまった。そのままヘナヘナ死んでいくところを、エリクソンに文字通り「叱咤激励」されることで、身体が本来あるべきところ(かそれ以上)にまで回復したという訳だ。(『ミルトン・エリクソン入門』に紹介されている。)

ミルトン・エリクソン入門

ミルトン・エリクソン入門

  • 作者: ウィリアム・ハドソンオハンロン,William Hadson O'Hanlon,森俊夫,菊池安希子
  • 出版社/メーカー: 金剛出版
  • 発売日: 1995/05
  • メディア: 単行本
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 ところでエリクソンが凄いのは言うまでもないが、彼の家族もなかなか素敵だ。例えば彼の母は、4歳になっても喋らない息子にを心配する人たちを前に、「その時がくれば、話すでしょう」と言ってのけた。アインシュタインもなかなか喋らなかったと聞いたことがあるが、4歳まで喋らなかった天才がもう一人居る。ウィトゲンシュタインだ。くしくもこの二人は「言語の天才」として世に名を残したが、一人は言語の言わば静的な面(論理学とか分析哲学とか)を、そしてもう一人は言語でもって人に如何に変化を導くかを研究した。最近は子どもを発達の「正常」と呼ばれる段階で測り、それに達していないことを大変悩む人がいるらしいが、「言葉はいくら遅くても気にしなくて大丈夫」なのだそうだ。知覚は、1歳までに習得しておかないと二度と得ることができない能力があるが(例えば「図と地」の区別は1歳を過ぎると学べない)、言語は問題ないそうだ。もしまわりに、「うちの子、言葉が遅くって」と心配している親御さんがいたら、エリクソンの話を聞かせてあげると良いかも知れない。あ、しかし、「4歳まで喋らなかったんだから、うちの子も天才になる」とかいう強迫観念に駆られたら、子どもが悲惨な目に合いそう‥‥。
 今回は歯(厳密に言えば、歯がかつてあった部分)も痛いし、ここら辺でおしまい。