ミルトン・エリクソンMilton Erickson3


 授業がとっても軽快に笑いを生じさせながら進むから、凄く気持ちが良い。『私の声はあなたとともに ミルトン・エリクソンいやしのストーリー』p.129〜に載ってるダイエット治療の例について、妄想たくましくいくよ。ただし、一旦以下の症例を読み始めた人は、最後の「注意」まで読んでね。
私の声はあなたとともに―ミルトン・エリクソンのいやしのストーリー

 減量したい女がいてね、日本の(女性の)感覚でいくと、例えば85キロの女がね、自分の理想の75キロまでちゃんと痩せられるんだけど、一旦それを達成すると、「やったー」っつって台所に突進し、「成功を祝う」もんだから、またもとの85キロに戻っちまう。幾度も「ダイエットに成功しては再び太って」というのをくり返していたこの女は、エリクソン先生に「どうしても痩せたいんです」と“すがる”。この“すがる”ってのがポイントで、エリクソンは「本当に、本当に痩せたいんだね?」「はい。絶対に痩せたいんです。」「じゃぁ、痩せるためにはどんなこともやるんだね?」「はい。もちろんです」「本当だね?」「はい。絶対に。何だってやります、痩せるためなら。」「じゃぁ、君は、私のやり方に文句をつけたりはしないね?」「もちろんでございます、先生。あぁ、お願いですから教えて下さい、どうやったら痩せられるのか。」「うん。いいけどね、でも、多分君はこのやり方を気に入らないと思うんだよねぇ〜。」「もう、絶対、何でもあなたのおっしゃる通りにいたします、エリクソン様。」「じゃぁ、教えてあげよう。必ず約束を守るんだぞ。」
 こういった具合に(だったかどうだか知らないけど)絶対的に女を服従させたマゾヒストサディスト・エリクソンは女をトランスに入れ、無意識にも意識にもこう指示する。「体重を100キロまで増やしなさい。100キロになったら“減量を始めてよろしい”。」女の方は「がびーーーーーん」だろう。100キロというのは、「流石に、ヤバい」と誰しも思う。100キロ。まず、桁が一つ増える。それに100キロと言えば、0.1トンですよ。「トンで測定できるあたしの体重っていったい‥‥。」「もはや、これは人間の範囲を超えている‥‥。」「あたしがもはや女でなくなる領域‥‥。」
 デブ女はエリクソンの前にひざまずく。「それだけは、それだけはご勘弁を、ご主人様。」マゾヒストサディスト・Eは「ぜぇーったいだめ」の一点張り。その後、デブは体重を増やしてはご主人様を訪ねては、体重測定を目の前でさせられる。90キロになったブタは悶え苦しみながら言う。「もう、よろしゅうございましょう? 許して下さいませ。」エリクソンは絶対に認めない、「ダメ。絶対100キロ。」
 99キロまで肥えて来て言う。「もう、殆ど、殆どこれは100キロでございます、ご主人様!」「なぁに阿呆なこと抜かしているか。まだ100に達しておらんではないか。」そして遂に、人間として許されない領域、相撲取りも若干びっくりの100キロ♀ブタがエリクソンの前に現れる。だが、この女性を逸脱してしまった♀は「幸せ」だった。「遂に、あたしは、減量を始めることを許されるのだわ!」「やったわ! 幸せだわ! これからは体重を減らせるのよ! きゃぁ! 素敵!」
 こうして♀ブタは、再び女性になった。理想の体重75キロをがっちり掴んだのだ。そしてご主人様に言い放つ。「もう二度と太ろうとは思いませんわ。」

 エリクソンは、それまでのように減らすことへの憤慨や苦しみを助長するのではなく、増やすことの屈辱、恥、苦痛、惨めさを嫌と言う程味わさせることで、ダイエットを成功させてしまった。鬼のような指令によってこのおっさんは、彼女の中にあった減量→増加というパターンを、増加→減量と逆転させる。かなりの「荒治療」ではあるが、自らに「もう二度と太ろうとは思いませんわ」と言わせることで、治療は完全に成功し、かくしてこの女の棺桶はこの後いつだって普通サイズでOKだ。100キロを達成した時の「減量して良いよ」との言葉にこの女は、歓喜さえしたことだろう。

 最後に注意書きを。この方法はかなり特殊だ。更に言うならば、エリクソンにとってはすべての痩せたいとすがる女たちが、それぞれ特殊、特異である(因みに彼は、すがらない人=本当は痩せなくていいと思っている人はそのまま放っておいてあげる)。だから、万人に共通の絶対的減量方法などというものをエリクソンに求めるのは無駄である。ただし、ヒントはこれだけでなくすべての症例に隠されているので、それを参考にすることは可能だ。だから、彼の一挙一動はすべてが、よく観てみるに値する。

 「〜したい」とぶつくさ言う人が「でもだめなのよねぇ」とかのたまっているが、藁にもすがっている人は、かならず目標なりなんなりを達成できちゃうのだ!