福島第一原発でおきたことを、少しでも理解するために

福島第一原発について、日本のマスメディアからの情報では分からないところまでつっこんだ解説が日本にもドイツにもいくつかあるので、「せめて」という思いで、自分が知らない言葉を調べたりしながら、まとめました。少し長いけれど、自分が持つ不安を誤魔化さないように書いたので少しは痒いところに手が届いていると思います。

「ことばの力―名指しと暴力」を聴講


 以下の文章は、2010年7月18日に行われたオープンキャンパス社会学科モギ講義で聴いてきたお話しを、同じ先生による別の講演で聴いたことや、私の感想を織り交ぜながら、書いたものです。え? 卒業生なのにそんなイベントに行くなよ? いいの、いいの。開かれたキャンパスに入っちゃいけないひとはいないんだから。

 模擬授業のタイトルは「ことばの力―名指しと暴力」。

 まず、先生が昨年度にしてきた仕事の紹介。サバティカルの一年に本一冊、「現代思想」や「ユリイカ」に数々の論文、そして4月に入稿したばかりで、これから「思想」に掲載される四部作を書き上げるという、どっひゃーな仕事量。なかでも「ユリイカ」は高校生の間でも知られてるみたいで、感嘆の声が上がってた。あたしはどれひとつも知らずに、オープンキャンパスも行かずにテケトに社会学科に入ったけど(そういう意味ではプランクトンだったと言えるかも)、センセの講義を始め、あれこれと好奇心をそそられるうちに、こういった雑誌のバックナンバーを漁るような子になってた。全くラッキーな選択だったとしか言いようがない。

 さて、ゲンナマの状態で見せられた四部作のタイトルが明かされる形で、講義は実質的な内容に入っていく。「で、そのタイトルはですね」と「セックス」と黒板に書き付けるセンセ。さぞかし、驚いただろうなー、高校生やその保護者。しかも配られた資料を覗くと何やら「中絶」の文字が‥‥。

 しかし、驚く間もなく話しは進む。大学というのは行政と同様、縦割りに区切られていて、各学科は他の学科からは自立している。しかし、学術的な「探求」というのは必ずしも区切られた学問のなかに限られることはない、と。国語と数学の証明が似ているように、学科というのは繋がらざるを得ない。「性」というのは色々な学問が、それぞれの仕切りのなかで扱ってきているテーマである。ここで、社会学や人類学、歴史学、犯罪学、臨床心理学、法医学や生物学などで、「性」をめぐる視点がどう異なるかを概観。この時点で、センセがどんだけの学問を横断してるかが強力に、けど何気なく披露されちゃったよ、いやはや……。更に言えば、「社会学とは何か?」と問うことに余り意味はなく、社会学が何をどう扱っているか、他の学問との違いは何なのかという例を知ることの方が大切だってことも分かっちゃう。あることばの意味を尋ねたとき「ふふふ、「ことば」はねぇ、意味じゃないんだよ、使われ方なんだよ」と言われたのを思い出す。そのときはポカーンと「だって、アフォーダンスってなに‥‥?」ってなったのだが、今おもうと、これほど良い回答はなかった。アフォーダンスについて、とにもかくも読んでみることになったし、真に先生の言う通りで、だから外国語で知らない単語があるときは、「ねえ、コレってどういう意味?」ではなく「この単語、どういうときに、どう使う?」と質問するべきなのだ。

 さて、「性」をめぐる現在の学問体系についてだが、まず人文科学は人間のセックスしか扱ってこなかった。性をザックリと「セックス/ジェンダー」と分けて、「社会における文化現象としての性の役割であるジェンダーはうちらの領域、有性生殖や発生といったセックスについては生物学でどうぞ」ってな立場をとってきた。またこれは人文科学一般に言えることだが、経験を人間の特権だと思い込んでる、つか基本、何でも人間中心なのだ。ヒューマニズムはミツバチの物凄いエキサイティングな世界も、ちんけな人間ドラマを模したアニメにしてしまう。一方、生物学は経験を軽んじる。だから「おばあちゃんの知恵」も「科学的根拠はないから」と、戯言として片付けてしまったりする。

 そんななかセンセは、シンプルな疑問を投げかける。「我々は性について何を知っているか?」と。有性生殖開始(オス/メスの発生)の瞬間がセックスの発生なのか? どうやら違うらしい(バタイユ、悔しいだろうなぁ……)。バクテリアなどの働きにより、人間は自分がとりこんだものになってしまうことはない。たとえばキャベツを食べてもキャベツ人間にはならない。この影響されないシステム、則ち体細胞と性殖細胞が別れた瞬間、約6億年前にセックスが発生したと考えられている。って、正直、この辺の話しはよくわかんなかったから、「セックス」を書く際に参考にしたという本たちを読みながら、このもの凄い論文の公開を待つことにするわ。緒科学という足枷から解放されたセックスが、どう羽ばたくのかっ! うー、楽しみっ!

 と、ここまでが、昨年度までに取り組んだ仕事の紹介。豪華すぎる前菜に圧倒されたが、好奇心という欲は、尽きることがない。今、先生が行っていることに話しは移って行く。

 「言語行為論」という哲学の一分野が存在する。もちろん、言語を相手にした学問なのだが、論理学(真/偽の判定)の範疇にとどまっていて、あまり現実的なことをしていない。一方、ことばを臨床の場で有効かつ強力に用いたのが、アメリカのミルトン・エリクソン Milton H. Erickson(1901-1980)という心理療法家。彼は患者に「病名」をつけることなく、それぞれの人にそれぞれの方法を用いて治療を行うから「理論」も具体的な「治療法」も確立せず、ただただ、見事な治療例が残されている。それらを読んで驚嘆するのはとても簡単なことなのだが、そこからもっと踏み込んで分析する、というのが目下のお仕事だそうだ。で、この際に重要なのは「性」を巡って異なる視点があるのと同様、「言語」ないしは「ことば」というのも、学問によって全く違うとらえ方があるということ。

 社会学はことばを「事実を規定するもの」「メッセージを伝達するもの」と定義してきた。一方、ジョン・L・オースティン John Langshaw Austin(1911-1960)はことばを、真偽の記述ではなく、言語を使う=行為であるとする。例えば、裁判や結婚式において「誓います」と言うことは、そのまま、誓う行為となる。これを「発話内的行為」と呼ぶ。一方、「誓います」と言うことによって裁判や式を進行させる、つまり「誓うこと」とは別の何事かを成し遂げることを「発話媒介行為」と言う。この二つを区別することがとても大事。

 さて、これを踏まえた上で、エリクソンのある事例が紹介される。このケースのなかで、彼は一体なにをやっちゃってるのか? 

 20代前半の未婚学生カップルの間に子供ができ、双方の両親は中絶しないなら財政支援を絶つと二人を脅したため、「中絶しなきゃ、中絶しなきゃ、もう中絶しかない」という思いにとりつかれた状態で、エリクソンに会いに来た。エリクソンはこの二人を見て「強迫神経症タイプだという印象をもった」(プリントより引用)。強迫神経症というのは、ある観念がなかなか離れてくれず、行動を支配されてしまい、その観念によって自らを不自由にしてしまう症状。「手が汚い」という思い込みから、手を洗い続けたりするのがその一例。さて妊娠した女子大生は本当に中絶するとしたら、残された猶予はあと一ヶ月という段階だった(それを過ぎると「堕胎」になってしまう)。だから、決定はなるべく早くされなくてはならない。それに右を向いても中絶、左を向いても中絶、中絶音頭のまっただ中にいる彼らはそもそも、「産みたくない」と思っているのだろうか? カップルの強迫神経的な性格を利用して、エリクソンカップルが本当に望むことを本人たちに確かめさせる。セッションのあと、このカップルは「どんな状況の下でも赤ちゃんの名前について考えてはならなかった」(プリントより引用)。「命名」という行為により、この二人が中絶“できなく”なるよう、エリクソンは暴力的に介在する。確実に育っている生命があることに注目させると同時に、「名前を考えてはなりません」と彼は言う。名前を考えるように威圧的に命令しても意味はない。むしろ、命名を自らするように、仕向けてしまったのだ。

 では、「命名」とはなんなのか? ここで、西谷修さんの、緻密で強力な文章が引用される。お手数ですが、『理性の探究』(岩波書店)39-40頁をお読み下さい。「発見」された土地をヨーロッパ人が「アメリカ」と名付けたことが、「ひとつの設定行為」となり、「アメリカ」と名付けられる前にそこにあったもの全てを抹消してしまった。命名という行為の暴力性が明らかにされる。そして「人間」や「国」というのも何ものかによって制定されたものであり、それらが如何に暴力的になれるかを物語るのが109-110頁からの引用。ブッシュ政権のもと、「テロリスト」の巣窟とされたイラクファルージャが徹底破壊され、何もかもがブルドーザーで埋められてしまった、という信じがたい事実。ブッシュ政権最大の「功績」は、「テロリスト」や「アルカイダ」と名指した相手を抹殺して良いという「正当性」を確立したことだ、と常々あたしは思う。「アルカイダ」ってそもそも、組織として存在しないし。ありもしないのに「テロ組織」って名付けたから、テロを計画したり実行したりする誰もが「アルカイダ」を名乗れることになっちゃった。そんな世の中に暮らす我々が直視しなくてはならないのが、ピエール・ルジャンドル Pierre Legendre(1930-)の重要な一文だ。先生は黒板に書き付ける。「ヒトラーの暴虐は、武力によって終止符が打たれたのであって、議論によって終わったのではない」(『ロルティ伍長の犯罪』人文書院、1998年)。筆記用具を持っていたひとは皆、この言葉をメモして帰ったはず(この文章がどれだけ、彼らの思考をaffectすることか!!)。 我々はナチズムが生まれたままの社会に生きている。「テロリスト」という暴力的な名指しの対象になると、際限なき暴力が国際政治で正当化されてしまう。「伝達のツール」なんてのでは済まされない、暴力性を持つ言葉。そんな言葉を、人を幸せな方向へ導くために使ったのがエリクソンだった、という訳。

 ここで先ほどの事例に回帰し、具体的にエリクソンがどんな言葉で二人を導いていったのかが明かされるのだが、全文をプリントから引用するのが面倒なので、とりあえず、彼がやってのけた戦略をかいつまんで書いておく。

 エリクソンカップル自身が言ったことをゆっくりと繰り返しながら、確認する。「他に選択肢はないと、君たちはゆったね」「はい」「何を差し置いてもさっさきに、中絶すると私に言ったね」「はい」。カップルは、こうしてa.「イエス・セット」に嵌められる。ピザと10回言わされたあと、肘をさされて「これは?」と訊かれると「ひざ」と言ってしまう(「10回クイズ」)のと同じで、詐欺師がよく使う手法。勿論、エリクソンはこの二人に詐欺を働こうとしているわけではない。しかし「はい」「はい」と殆ど無条件に言ってしまうような状態にすることで、ゆっくりと確実に問題の核心に入って行き、その上で、確実にそう(中絶)しなくなる「警告」がある、と言い出す。だが、その内容はなかなか教えてくれない。このb.「じらし作戦」を前に、身を乗り出して話しに食いつく二人。更にエリクソンは、低い声量でc.「ささやく」。だから身を乗り出しながら、聞き耳もたてる。そう、エリクソンはしっかりと、a.からc.の戦略でもって二人の関心をグッとひきつけているのだ。

 さて、中絶を確実に止めることになる「警告」があることをちらつかせ、その「警告」を教えてあげてもいいけど、君たちは本当に中絶したいのかどうかを、自分たち自身が知らなきゃならないよ、とエリクソンはぴしゃりと言う。その上で大切な事実――これから男の子か女の子になろうとしている生命が正に今、お腹のなかで育っていること――に注目させる。そして最後の仕上げ。エリクソンカップルに、このオフィスを出たら、名前を考えるなんていう真似してはいけない、そんなことしたら、「子供を持ち続けるよう余儀なくされてしまうからね」(プリントより引用)と警告する。
 中絶するしかない、という思いに捕らわれているカップルにエリクソンは、「中絶すればいいよ、したいなら」と言っておき子供の名前を考えることを禁ずる。「ほーれほれ、これ美味しいんだよぉ〜」と見せておいて、箱にしまっちゃう。禁止という誘惑にかられる二人。「中絶」で四方八方を埋め尽くされていたカップルの目の前に、生まれてくる生命にとって、言葉の世界への最初の足がかりとなる「命名」という行為が、届くか届かないかスレスレのところにつり下げられる。そりゃなんとしてでも両親を説き伏せるし、産むよね。それに彼らはとってもいい親になったはず。

 言葉がどれだけの力を持つのか。ともすれば人を破壊に導くことにもなる強大な言葉を、最大限にポジティブに活かしたのがエリクソンだった。因みに、この間亡くなったレヴィ=ストロースも言葉の力を知った上で、ギリギリの地点で言葉を紡いだひとだった、っていうのが「現代思想」追悼号に載っている「迫り来る退屈に抗うこと」って論文に書かれていて、これはもう、考えうる最高の追悼だと思う。「ことばの力」に興味を持ったり、「なるほど、それこそ私が知りたいことだった」って思ったひとは、是非、読むべし。

新年の迎え方

 大晦日。ジィルヴェスターと呼ばれるこの日は、クリスマスとは打って変わって友達とお祝いするのが一般的。あちこちで、爆竹が鳴りショボイ花火が上がるので非常に騒々しい一日となる。広場や道はそれらの残骸や瓶が散乱してて酷い有様だし、爆竹とか、火を付けて車道とか人気のない歩道にポイって投げたりする愚か者がいるから、歩くのが怖い‥‥。

 この日の午後は、エリーザが弾くというのでトーマス教会のコンサートへ。オルガンソロに始まり、牧師の挨拶、メンデルスゾーンなどの合唱曲がいくつか、賛美歌を全員で歌い、説教があり、バッハのクリスマスオラトリオの第3部、お祈り、合唱曲、終わり際に献金。合唱団の子音の綺麗なこと。楽器の音色の柔らかくて美しいこと。繊細な、とても質の高い演奏を聴くことが出来ました。開演直前に到着したため立ち見になっちゃったけど、2ユーロでこれだけのことを体験できちゃうんだから、幸せだ。その後、エリーザとお茶した。会話はもちろん、ドイツ語。オーケストラの演奏旅行で来日は既に3回を数えるとか。東京のどこかにネコ神社ってのがあるんだと教えてくれた。

 夜は、ホストシスターの中国出身の友達の集まりへ。到着するとみんなで肉まんを作っていた。素晴らしき、中国食文化! 山盛りの水餃子に、寒天みたいなの、インゲンの炒め物、ザーサイ、肉まん。私はツナマヨを入れた、一口サイズのおにぎりを持って行きました。ここでの会話は、中国語。一言だって分かりゃしない。京劇の俳優を巡る歴史映画を中国語の字幕で鑑賞。時代背景が20世紀初頭だったので、内容は理解できなかったけど「くるか、くるか」と思っていたら、やはり、日本人が出てきた。もちろん、軍服に身を包んで。中国で愛されているこの俳優を思いのままに操れば、中国人の心を支配できて、他の国々が達成できなかった「支那の占領」を果たせると。俳優はそんなことしたくないから、女形なんだけど髭を生やしたり、わざと病気にかかり招かれた先でぶっ倒れたりして、頑なに日本軍の要求を拒否。「クソ日本人が」と呟くと、「だけどこれは軍隊だし」「もう過ぎたこと」と。歴史に対する「正しい立場」というのは存在しない。「正しさ」を求めるから対立が起きる。だからこの対応の正否を判断するのは危険なことだ。ただし、事実そのものは直視されなくてはならない。今の私には、起きたことを恐る恐る見て、悪態をつくことくらいしか出来ない。思考が欠けているのを実感する。因みに映画は、中国が「勝利」し、俳優が再び舞台に立つところで終わる。

 「次は、日本の映画を中国語の字幕付きで観よう。君は聴いて、僕らは読むから」ということになり、ダウンロードされたリストから「東京少年」が選ばれた。観終わると「『東京少女』ってのもあるよ」ってなって、そっちも観た。この晩を共に過ごした中国人たちは、あたしより日本文化に詳しい。東京少年の主役を「この女優、『クロサギ』の彼女になる人だよ」だって。この人が堀北真希って人だったのね。出演者、誰一人として知らなかった。少女の方は近藤芳正って人の顔だけ知ってた。内容は、ふむ、細かいところのツメが甘くて「SFでも筋通すべきところは通さないとねぇ」と、所々突っ込みが入った。少年の方は、見せ方が一部、冗長的だったけど、ネタそのものは面白くてびっくらこいた。前情報なしで観るべき作品の一つ、と私は思うのだが、ネット検索してあらびっくり。ネタ垂れ流しじゃん。

 深夜、市電に乗って腰掛けたら、あたしは帰宅するっていうのに、「これから祝いにいくんだ」とシャンパンをラッパ飲みするおっさんに話しかけられた。お家でこれを書いていたらクリスティアンが帰って来て、花火の動画やなんかを見せてくれた。しかし花火については日本の方が凄いよ、と江戸川花火大会の動画を見せてあげた。二時間近く話し彼が塒(ねぐら)に戻った後、文章を再開、暫くすると坊主のマティアスが顔を出して立ち話。ということでもう朝6時半。やっと花火と爆竹が止み、静かでちょっと厳かな気分が沸いてきました。新年、明けましておめでとうございます! 素晴らしき一年となりますように!





クリスマス

 クリスマス。「恋人同士で聖夜を‥‥」なんて雰囲気は全く無くて、日本の正月のように家族行事。24日の午後から半日と第一クリスマスの25日、第二クリスマスの26日がそれぞれ祝日となる。24日は翌朝まで、母から紹介してもらった同い年くらいのバイオリニスト、エリーザとそのご近所さんの中国人夫婦と過ごした。アマチュアにしろプロにしろ、音楽をやる人は礼拝で演奏するから、クリスマスは結構忙しく、彼女の様に帰省できない人もいる。夫婦の旦那さんは理系研究所にお勤めで、ドイツ語が出来ない。エリーザはアメリカに留学していたそうで、英語完璧。ということで、英語漬けの聖夜となりました。メインディッシュはご飯にキムチチゲ(やたら酸っぱかった)、中華風炒め物(やたらキッツイ胡椒が効いていた、舌が麻痺するほど)。全くもって、ドイツらしさがないながらも、この国を共通項にして引き寄せられた人々が集まったという、一風変わったイヴでした。そしてちょっと素敵だったのが、奥さん以外の3人でバルコニーでヤニった時のこと。澄んだ空気に煙の筋を描きながら、「きよしこのよる」のメロディーをハモりました。身が縮むマイナスの世界に音楽の光が灯る‥‥。そして、奥さん、私より若くて建築を学んでいるそうなんだけど絵がとても上手で、いつの間にか映画を観ているエリーザと私の姿を細い黒ペンで描いていて、ガラスケースに入れてプレゼントしてくれました。私の部屋の第一装飾品として、さっそく壁にかけました。

 25日はライプツィヒから車で一時間くらい行った街、ドレスデンへ移動。今回、初めて「相乗りシステム(Mitfahrzentrale, Mitfahrgelegenheit)」というのを利用した。ウェブサイトで「いつ、どこからどこへ」と条件を入力して検索すると、ズラッと一覧が出てくる。時間や値段など気に入ったのを選び、電話やメールなどで連絡を取る。見も知らぬ人とのドライブとなる訳だけど、ドライバーは皆、本名と電話番号、住所を登録しているので、特に心配はいらない。車だけでなく、「列車のグループチケットを割り勘しませんか」という申し出もある。5人まで鈍行に乗れるチケットがあって、それを最大限に利用しようと言うわけ。駅でチケット買おうとしてると、「そっち方面行くなら、割り勘しない?」って声を掛けて来る人もいる。いずれにせよ、120キロほどの距離を、正規の鈍行料金で20ユーロはする所を5〜6ユーロ(700円弱〜800円)で移動できるのだから、かなりお得な制度と言える。ルームメイトのクリスティアンも、車で遠くに行くときは、必ず誰かしらを拾ってるそうだ。至ってドライに、お互いの利益を補いながらこういう制度が機能している。

 さて、第一クリスマスは、出張でよく東京にも来る知り合いのお家に招かれ、孫までの3世代で遅めの昼食。アヒルのグリルにジャガイモ団子、ソース。次の日は以前うちに招いたことのある、面倒見の良い、実直そのものなおじさんの家族と食卓を囲んだ。メニューは写真の通り。パンの変形物に、肉、マッシュルームとインゲンの付け合わせ、ソース。しかしこの写真はドイツのある大事な鉄則を遵守していない。その鉄則とは「料理はソースの中で泳がなくてはならない」。両家の人々、かけるはかける、ソースをダボダボと。ヒタヒタというかビチャビチャじゃん、それじゃぁ、っていう位にソースをたっぷりかけていただくのがドイツ流。両日共に天気が良かったので、散歩に出かけ、カフェタイムを楽しみ、プレゼントを交換。

 それにしてもドイツ人、食うねぇ。食べる量が本当に、半端じゃない。しゃぶしゃぶとかすき焼きという食文化が発生する訳がない。ジャガイモ団子が大きめのお握りくらいの大きさで、モチモチしてて、結構ヘヴィなんだけど、一人2個は食べてたよ。あと、様々なクッキーを中心としたお菓子。こんなに食べきれるわけ無いじゃん、いくら大人数でもと思ってたら、みるみるうちに吸収されて、器はほぼ空に‥‥。ガキも自分の拳大の焼き菓子をペロリと平らげ、更にチョコレートでコーティングされたお菓子をパクパク。そりゃぁ、太りますわ、育ちますわ、デカイわけだわ。とか観察している自分も、このクリスマスの怒濤の脂&砂糖攻撃によってすっかり肥えてしまったようです。っつうか、その前に既に太っていたようで、クリスマスの写真を見ると、自分、ちょっとふっくらし過ぎじゃぁ‥‥。

 三日間、家族の住む国を離れ単身ドイツへやって来た私を皆、暖かく歓待してくれました。新たな出会い、そしてさらなる世界の広がりを予感させる、キラキラと輝く日々を過ごすことが出来ました。


クリスマスタワー。


食事



雪だるまの体内でお香が焚かれている



いただいたもの。アーニーもリトルミイも満足げ

ルームメイトたち

schaumlos2008-12-19



 新居での生活が二週目に突入です。初めの一週間で必要な物を大体買いそろえ、大学入学に必要な情報等をかき集めた。なので、今週は比較的のんびり過ごしています。そして一通り家具などが揃った後、ホストファミリーやオーケストラで知り合った友達に連絡を取った。固定電話同士だと通話し放題なので、気兼ねせず好きなだけ喋れるのは本当に有り難い。彼らには何も伝えていなかったので、私の連絡にとても驚き、そして私がドイツに居ることを喜んでくれた。特にこの街と彼らに繋がりがあるわけではないと思って普通に現状報告をしたんだけど‥‥。なんと、ホストシスターがライプツィヒ大学の外交局で研修をしていたことが発覚。しかもそれどころか、「来週、ライプツィヒにいる友達を訪ねに行くんだよ」だって。何たる、何たる偶然、タイミング。そして先ほど、「着いたよ」という電話が入りました。明日、土曜日の午前中にまず一目会って、夜はイベントに一緒に行くことになった。日曜日は私の部屋で一泊。翌日の夜の出発まで、街を案内してくれる。そして、オケの友達の方はというと、いずれ友達に会いに行こうと思っていたから、1月にこっちへ来るって! 因みに、他に友達がいない訳じゃぁないよ。だけど、この二人を通じて殆ど全ての友人に連絡が取れるの。これから徐々に、電話したりして行こうと思ってます。

 さて、ここでの生活だけど。クリスティアンと二人のマティアスと暮らしています。皆、デッサウという街出身で、三〇代。三人同士はもう長いこと知り合いだそうで、お互いのことを良く知っている。三人とも、私を加えた生活がより潤滑に巡るように、何かと手助けをしてくれるんだ。例えば昨日は、「台所にあった椅子知らない?」と椅子の捜索をしていたら、「そもそも何で台所で食べてるの?」という話になり、「勉強机はコンピューターがあるから、そこでは食べたくないの」と説明した。すると、クリスティアンが「あぁ、そうか。ソファ用の机、まだ、あげてなかったね」と納戸や地下室からパーツを集めてきて、その場ですぐに組み立ててくれた。彼はとても器用な人で、趣味で家具を作ったりするらしく、工具や部品などを何でも持っている。こんな人、いるもんなんだね。とても助かっています。クリスティアンは自営業の広告デザイナーで、ネットオークションのエキスパート。私のベッド用マットを競り落としてくれた他、今、自転車を競ってくれている。

 眼鏡のマティアスは、私が調理した直後に鍋とかを洗っているのを見て、「別にすぐやらなくたって、置いておけばいいよ。朝食の食器とかだったら(もう一人の)マティアスがあまり朝早くないから、よく片付けておいてくれるし」と言ってくれた。うん、言われなくても気づいてた。みんな、放置プレーが大好き。私もそうだから、こういうルーズさはラクでとても良い。私もたまに、誰が放置したか知らない食器を洗う。「後でやろぅっと」と私が放置した食器もしかし、誰か他の人の手によって片付けられることがある。緩いギブアンドテイクとでも言ったらいいのか。台所や風呂場といった共有スペースの掃除やゴミ出し(袋が一杯になると、地下にあるゴミ箱へ放り込みに行く)、コーヒーのフィルターやゴミ袋、トイレットペーパー、様々な洗剤といった共有財産も同じような具合でことが進むようだ。ある時を境に、トイレの水の色が変わっていて。今までは普通の水だったのに、ブルーキュラソーみたいな色がついているの。多分、トイレのどこかに何かを仕込んだんだろう、誰かが。トイレットペーパーは、紙自体がゴワゴワで分厚い上、二重だか三重になっているからか、なくなるペースが尋常じゃない。二週間で八個くらいは使ったんじゃないかな。とりあえず、無いと困るものなので、早めに一ダース補充しておいた。

 頭がツルツルのマティアスは、「地下室はもう見た?」とか「週末、お茶しに友達のところへ行くんだけど、一緒に来ない?」とか「まだ君が行ったことのないスーパーまで行くけど、一緒に来る?」とか、気を遣ってくる。ドイツではクリスマスイブまでの四回の日曜日が「アドベント降誕節)」と呼ばれ、ちょっと特別な日曜日になる。友人や家族でお茶を飲んだり、ちょっと特別な食事をしたりして、クリスマスを待ち望むのだ。マティアスは、第三アドベントに友達に呼ばれていて、私のことも誘ってくれたのです。如何せん、彼が帰宅する前に、クリスティアンと眼鏡のマティアスが「君に決めた」なんて私を選んだから、彼とは殆ど話す機会がなかったんだけど、この日に結構、喋ることができた。特に、行きはバスだったんだけど、帰りは歩いて帰ったから、たくさん話した。あと、住民登録用の書類を埋めるのを手伝ってくれて、「ありがとう」って言ったら「別に、お礼するほどのことしてないよ」だって。今日も、私が本屋で取り寄せした本を取ってきてくれたんだけど、「これなしには、ドイツ語の勉強進まないんだ。ありがとう」って言ったら「そんな、お礼には値しないよ」だって。しかも親切なことに、「わかんないことあったら、僕の部屋、ノックしてくれればいいからね」と言い残して行った。

 お互いにポジティブにお互いを知りたがっているので、きっかけがあると、何かと長話しになる。今後も、規模の大きさに関わらず、様々な会話や交流を重ねて、共同生活の快適さを高めていけたらいいと思っています。

家探し

schaumlos2008-12-11


 ドレスデンの友人の所に滞在しながら、ドレスデンから列車で1時間半行ったところにあるライプツィヒという街で、家探しをした。実家住まいでないドイツの学生は殆どみんな、ルームシェア。家賃が安く済むし、必要な家電を一から買いそろえる必要がない。
 12月4日木曜日、ネットでルームシェアの空き情報を得て電話をし、金曜日に一カ所、見に行く約束を取り付けた。候補に挙げた住まいのリストを印刷し、フルに充電した携帯を持ってやる気まんまんで午前九時半にライプツィヒに到着。携帯用のプリペイドカードを買っておこうと、携帯ショップに入る。で、自分の持っている携帯に入っているカードを見せるために、電源を切った。で、切った瞬間「しまった!」。電源を入れ直すたびにコードを入力しなきゃならないんだけど、そのコードを覚えてないのだ。一日が潰れた、と言っても過言ではない。駅にある公衆電話で何軒か電話をしてみたが、通じなかったり既に埋まっていたりで、なかなか、見に行く約束をするところまで到達しない。家探しのためだけに携帯を買ったというのになんたる失態。ほんっと、アホだ。約束はしかし、夕方の五時。仕方ないので、街をプラプラしたり、必要もないのに家電を見たり、バーガーキング数独をやって時間潰したり、ネットカフェでメールを見たり、お母さんに頼まれた用事を済ましたり、とにかく夕方まで時間を潰す。
 約束の時間よりちょっと早かったけど、ベルを鳴らした。越して来てまだ二ヶ月という女の子が、家の中を全て見せてくれた。ここの特徴はまず、家賃が安い。それと、寝るところと書斎スペースが分かれている。共有スペースである風呂場とキッチンを覗いて、普通に満足。一段落付いたところで、もう一人の同居人を紹介してくれることになった。彼女の部屋をノック。わひゃ! デブだ! 部屋は満足だけど、デブと共同生活できるかがもの凄く不安。けど、決まれば大変有り難い。別の所に電話した時、「もう部屋は空いてないんだ。今日の午後、見に来た人とお茶をして、その人に決めたので」と言われたから、うまく行けばその場で決まるもんなんだろう。しかし「まだ、他にも来るかも知れないから、返事は来週末まで待って」とデブ。ただ、手応えはあった。というのも、大学の新学期はもう始まっているから、この時期に引っ越してくる人はあまりいないのだ。とはいえもちろん、条件の良い住まいはどんどん埋まって行く。
 そんなにすぐ決まる訳ないよなぁ〜、と駅へ向かった。そしてドレスデンへ戻り、七時半からのコンサートに駆け込む。私が大好きなバッハのクリスマスオラトリオを、フラウエン教会で聴くことができた。なんたる幸せ。響きが最高。この日の失敗やら、部屋が決まっていないことの不安やらは教会の外に置いて、音楽を堪能。
 翌日、ドレスデンからいくつか電話を入れ、2つ、夕方に見に行くことになった。一カ所目は部屋が比較的小さくて、それ故に安い。同居人は真面目そうな女性が3人。キッチンがゆったりしていて、バスルームが新しくて綺麗。四階だけど、エレベーターがあるから問題無し。ただ、ここもまだ候補者が何人かいるようで、「来週末までに連絡する」とのこと。駅へ戻り、もう一つ約束をする。
 二つ目。部屋は大きいけど、細長い。棚かなんかで半分に分けて住もうかと思う程。同居人の一人が旅行でいないけれど、もう一人の同居人と話が弾んだ。彼自身は私でOKだけど、如何せん、もう一人に会わないことにははっきりしない。すっかり長居してしまい、次の約束に遅刻! 
 三つ目に向かおうと、市電の停留所から三〇分ほど遅れる旨を伝えた。すると親切なことに、「今、どこなの?」「あぁ、そこからならバス停まで歩けるよ」と色々説明してくれたんだけど、地図にある情報と合わなくて結局、市電に乗ってバス停へ向かった。「あぁ、感じ悪くしちゃったなぁ」と不安たっぷりに向かった家は、バス停を降りてすぐ。空き部屋は照明器具がなくて暗くてよく見えなかったけど、ランプを運んできてくれたので大体を見渡せた。3人の同居人の内、2人と話した。何でドイツに来たか、どういう立場なのか、どれくらい居る予定なのか、家族のこと。お母さんがよく、ドイツでカリグラフィーの展示会を開くということが効いたらしく「君のこと信用するよ」「いつ越してくる?」となった。「え? でも、もう一人いるんでしょ? その人には聞かなくていいの?」「あぁ、奴なら問題ないよ。それに、もうすぐ帰ってくるはずだよ。」前この部屋に住んでいた女性(彼らの友達の友達)が、家賃を滞納したまま突然消えてしまって、罰金を分割で払っているから、彼らにとって「信用」がとても重要だったみたい。だけどよくぞ、外国人たる私を信用してくれました。私のドイツ語が上手すぎたのかな、なんちって。3人目に会う前に、月曜日に引っ越して来ることが決まった。そして、月曜に見に来る予定だった人は断らなきゃね、と。はぅっ、こんなにあっさり行くなんて!! 3人目の同居人も帰ってきて、みんなで祝杯をあげた。

 月曜日、午前10時頃に到着し、ベルを鳴らす。一番重い鞄はクリスティアンが二階まで運んでくれた。ソファとベッドの枠をくれたけど、まだまだ家具を買いそろえる必要がある。すると、どうせ自分も同じ方角で行かなきゃならないお店があるから、と車でイケアまで連れてってくれた。イケアに行く前に書類を取りに不動産屋に寄ったんだけど、オフィスに入る前に彼が「君は今日越してきたけど、15日から住むって言ってね。そうじゃないと今日から家賃が発生しちゃうから」と教えてくれた。無愛想だけど、本当に親切な人だ。イケアではハンガー掛け、棚、机用の板(板を乗せる台はくれた)、ゴミ箱、寝具やそのカバー、洗濯物入れ、延長コード、照明、ちりとりと小さなブラシのセット、部屋が広いから遊べると思ってサッカーボール型のクッションを購入。全部で約150ユーロ。あと、ベッド用にマットが必要だったんだけど、イケアでも最低134ユーロ、街のベッドマット屋の最低価格が199ユーロ。結構高い。けどクリスティアンがあらかじめネットオークションサイトを覗いてくれていて、「ネットで買った方がいいよ」ということになった。諸々を買い込んで家に戻り、組み立てた。2メートルある棚を壁に固定するのに、クリスティアンはあれこれ道具を持ってきて試してくれた。やたら器具を持ってるなぁと思いきや、彼、趣味で家具を作ったりするんだって。そしてオークションサイトを確認。値段は30ユーロくらいで止まっている。引き取りに行くためのガソリン代が10ユーロだということなので、50ユーロまでなら払う、と伝えるとネットオークションに慣れているクリスティアンが、制限時間の数秒前に「52ユーロ」と入力した。すると‥‥1ユーロ差で競り落とした! 翌日、また彼が車を出してくれて、無事、マットを手に入れることができた。引っ越して来て二日間で、必要な家具が全て揃った。机用の椅子もくれたし(でも、椅子はいずれちゃんとしたのを買おうと思う)、机用のランプももう一人の同居人であるマーティンマティアスがくれた。カーテンはないけれど、すだれがあるので問題無し。
 部屋は20平方メートル(12畳)で、天井が高いのでかなり広く感じる。通りに面しているけど、夜は殆ど車が通らないし、窓が二重になってるから騒音は気にならない。男所帯なので、家に入ってくるとタバコ臭と男臭がするけど、私の部屋は臭わない。ネットはケーブルをくれたからすぐ繋がった。バス停から歩いてすぐ、路面電車の停留所からは2分。安いので有名なスーパーとなんでも揃うスーパー、それにドイツの典型的なファストフードであるドナーケバブの店がそれぞれ徒歩2分圏内。唯一の問題があるとすれば、シャワー用カーテンが付いていないこと。シャワーを浴びる時は、湯船の中に座って水が飛び散らないように注意しなきゃいけない。だけど私が座ると湯船の中にスッポリ収まるので、カーテンがなくても大丈夫。それに家を決めた以上、重要なのは、ここに慣れて自分のスタイルを築くこと。家賃と光熱費、ネットや電話、テレビなど全て併せて200ユーロ弱で、私が両替したレートだと27,000円くらい。食費はこれから計算するけど、200ユーロ見ておけば十分だと思う。

 これから、語学学校と大学の入学手続きをします。日本でもそうだったけど、本当に、どうやってお礼をしたらいいのか分からないくらいに、たくさんの人が私を助けてくれます。最も、私の人生に於いて、お礼というお礼はまだ誰にも出来ていないんだけれど‥‥。

到着の報告

schaumlos2008-12-01


 こんにちは。携帯からわざわざパソコンにメールをくれた方々がいるので(それも不安たっぷりに)、簡潔にご報告まで。

 無事にドレスデンに到着しています。日本時間25日の11時50分発の飛行機に乗り、現地時間25日の19時過ぎ(日本時間で言うと26日午前3時)に現地の空港に着きました。東京の上は恐らく殆ど飛んでいないけれど、離陸後暫くしたら「ただいま、千歳、札幌の上空です」なんてアナウンスがありました。食事の時ワインをもらって、たらふく飲み食いして寝てやろうと思ったのに、あまりちゃんと寝むれなくて、ふと日除けを上げるとなんと、遠くに夕日があるではありませんか。「つるべ落とし」なんて言ってあっという間に落ちるはずの夕日が、時差の関係なのか、なかなか落ちない。というか、落ちたと思ったらまたチラッとオレンジ色の光が見えてくる。やたら長い「夕暮れ」でした。

 さて、着いてすぐ、ここドレスデンルームシェアを探そうとしていたんだけど、私がやりたい政治学をやるならばドレスデンよりライプチヒ(隣の町)の方が良いのでは、という情報を得たため今、どっちで部屋を探そうか迷っています。多分、ライプチヒになりそう。ドレスデンの方が知り合いが多いから快適なんだが、住居はライプチヒに比べると少々、高いのです(とはいっても旧東なので旧西に比べると大したことないんだけど)。また街の規模や美しさからいうと、間違いなくドレスデンなのだけれど、勉強のことを考えるとどうやらライプチヒの方が良さそうです。ドレスデンはそもそもが技術大学で、文系の科目は比較的新しく創設されたのに、伝統のあるライプチヒより保守的なんだそうです。意外と、ライプチヒの方が保守的なのかと思ってたら、んなこたぁない、と。自身を保守的だと言ってはばからないひとたちが、口々にそういうのです。

 ところで、ネット環境がなかなかなくて、自分のパソコンを生かすことが全然できていません。知り合い宅のパソコンで今まで使っていたeMailを見ようとしたら、日本語部分が全部文字化けしちゃって、お手上げ状態。ネットカフェでかろうじて受信したメールを読むことには読んだのですが、返事を書くことができない状態です。

 来週にも、ライプチヒに移動して、部屋を決めます。光熱費とかインターネットとか、全部込みで月あたり200ユーロ(約3万円)前後で済めば幸いなんだが‥‥。どうなることでしょう? 部屋が決まったら、また報告します。それまでは日々、吞んだくれて‥‥というのは本当に、本当に、信じないだろうけど、嘘。慎ましく生きております、はい。