"Happy Holidays!"の彼方に

2004年度に書いたレポート、だろう。旬だから載せてみた。


 "Happy Holidays!" これが、昨年(2004)末にアメリカ合衆国大統領であるG.W.ブッシュが口にした国民への挨拶だった。そう、合衆国憲法修正第一条で定められた政教分離の原則と信教の自由を重んじるアメリカの大統領たる者、クリスマスという特定の宗教のお祭りを祝う“Merry Christmas!モと言う言葉を、全国民に向けて発する訳にはいかないのだ。言うまでもなく、クリスマスは「キリストの生誕」を祝うお祭りで、キリスト教において最も重要な行事であるが、アメリカ国民の内、キリスト教徒の占める割合は、8割弱でしかない。大統領が率先してキリスト教のお祭りを祝うだなんて、同じアメリカ国民たる残り2割強の非-キリスト教徒に対する配慮が足りない、と言う訳だ。一体いつ頃からアメリカにおいて、"Merry Christmas"という言葉が弾圧されるようになって来ているのか、詳しいところは分からない。しかし少なくとも、昨年末から突如として始まった現象ではないようで、クリスマスを巡る論争をアメリカでは「12月のジレンマ」と呼ぶそうだ。一体今、アメリカでどんな事態が起きているのだろうか。
 読売新聞が伝えるところによると、「サンタクロースや「ジングルベル・ロック」はOKだが、イエス・キリスト、「きよしこの夜」はダメ」。「オフィスで開くのは「クリスマスパーティー」ではなく「年末パーティー」。「クリスマス休暇」ではなく「冬休み」」といった具合に、「クリスマス」という言葉を使わずに、クリスマス起因の行事を表現しなくてはならないという。また、クリスマスツリーも宗教的シンボルの一つであるとして、フロリダ州パスコ郡では条例によって、公共の場にツリーを飾ることを禁じてさえいるそうだ。もっと奇妙な条例として、カンザス州ウィチタ市は、クリスマスツリーを「コミュニティーツリーと言い換えるべきだ」とする条例を制定したという。
 もっとも、アメリカという国におけるクリスマスは、ヨーロッパの「伝統的なクリスマス」とは一線を画しており、キリスト教的な意味合いはヨーロッパのそれと比べると薄いといわれている。もちろん、宗教的な側面が完全に失われているとはいいがたいのだろうが、〈サンタクロース〉という「発明品」と〈クリスマス〉という〈記号〉をセットにすることで成立した〈アメリカ流クリスマス〉が〈記号化〉、すなわちキリストの生誕を祝うという「本来の目的」を削り取るという企てに成功している事実は否めない。キリスト教徒が人口の1割にも満たない日本という国に、〈クリスマス〉という行事が定着するには〈サンタクロース〉という無敵のキャラクターによって、クリスマスが〈記号化〉していなければならなかったはずだ。
 多くの日本人を始めとした、アメリカ式クリスマスが浸透した国の人びと、もしくは多くのアメリカ人、はもはや、「サンタクロース無きクリスマス」などというものは想像することさえできないのではないだろうか。だが、今ではすっかり「正統派サンタクロース」の名をほしいままにしている、「白髭の腹の突き出たおじいさん」と「赤い衣装」、「プレゼントを入れた大きな白い袋」それに「トナカイ」という〈記号〉によって包囲された〈サンタクロース〉というキャラクターは、その起源たる聖ニコラウスこそヨーロッパ大陸出身だが、アメリカにおいて、ヨーロッパ各国の神話や伝統が混ぜこぜになり、挙げ句の果てにコカコーラの宣伝に起用されたことで、その不動の地位を手にすることとなったという経歴を持っている。クリスマスになると「良い子」にプレゼントを持って来てくれる、素敵なおじいさんたる〈サンタクロース〉は、アメリカで正に「発明」された、〈クリスマス〉という〈記号〉を背負わされた〈記号〉なのである。
 よく、「日本人はキリスト教とは何の関係もないくせに、クリスマスだけは大騒ぎする。クリスマスがなぜ目出たいかも理解せずにあんな風に、日本流にめちゃくちゃに祝うのは止めてほしい。せめて、なぜ目出たいのか、何を祝っているのかぐらいはちゃんと理解すべきだ」というような意見を耳にする。「本物のクリスマス」が何たるかを知る人びとは、完全に記号と化した、商業主義丸出しの非キリスト教的な日本のクリスマスを批判する。だが、クリスマスは〈記号〉と化したことによって正に、非キリスト教国に「輸出」することが可能になり、これほどまでの威光を非キリスト教者にまで放つようになったのだ。サンタクロースとクリスマスのイメージが重なり合ったその時から、クリスマスの〈記号化〉は始まっているのであって、初めから消費対象として差し出された〈記号〉としての〈クリスマス〉しか知らない日本人に対して説教を垂れても、単なる偏屈野郎扱いされるのがオチであろう。何せ、日本における〈クリスマス〉の雰囲気は並ならぬ強制力を持つ。〈クリスマス〉の夜を一人で過ごすというのは、「侘びしい」ことであるとされ、まるで恋人がいないことが罪であるかのようだし、デパート(は頼んでもいないのにも関わらず!)わざわざ、「気を遣って」包装紙や紙袋をクリスマス調のものにしてくれる。また、何気なくスーパーへと足を運ぶと、「クリスマスの特別メニュー」として普段はお目にかからないチキンの丸焼きや、〈クリスマス〉ケーキやらが売られている。例えクリスマスについて何一つ知らなくても、スーパーは何を食べたらいいのか、われわれにしっかりと教えてくれる。
 さて、逸早くクリスマスを〈記号化〉し、〈クリスマス〉の輸出大国となったアメリカでは今、何が起きているのだろうか。その一部は冒頭に紹介した通りだ。公共の場から、「クリスマス」という言葉が徹底的に排除されている。中には自主的に、「クリスマス」という表記を店から撤廃させた大手デパートまで存在する。〈クリスマス〉セールが途方もない利益をもたらすことを考えれば、これはおどろくべき事態であるといわねばならないだろう。アメリカにおけるクリスマスはそもそも、〈記号化〉されることで、キリスト教徒以外の人びとをもその雰囲気によって取り囲むことを可能にし、商業的な意味合いを深める一方、キリスト教的な意義をそぎ落としてきたのではなかったのか。だとしたらなぜ、この期に及んで、宗教的意味合いが薄れた〈クリスマス〉を、公共の場から追い出さねばならないのだろうか。政教分離の名の下に、アメリカ政府におけるキリスト教色を脱色させようとする涙ぐましい試みの一つなのだろうか。それとも、クリスマスがキリスト教の軛から完全に放たれ、単なる年末行事の一つとなろうとしているのだろうか。 
私には、アメリカにおける〈クリスマス〉をめぐる一連の動きには、ボードリヤールが分析した、女性を〈記号〉として解放することで、「現実の女性たちの社会的解放に伴う一切の危険を遠ざけ」(p.204)たのと同じような現象がおきているように感じられる。
 自ら国民に向けて"Happy Holidays!"と言ってみせたブッシュ大統領だが、彼は中年期に差し掛かってから信仰に目覚めた、「ボーンアゲイン」と呼ばれる敬虔というよりは、狂信的なクリスチャンである。ニューズウィーク誌(日本版)によれば、「現代のアメリカに、これほど宗教を重んじ、神への信仰に支えられ、導かれている大統領と政権はなかった」という。実際、ブッシュのキリスト教右派への揺るぎない信仰を物語るエピソードは腐るほどあるし、彼の政治家としてのキャリアは、共和党の中心的な支持基盤であるキリスト教右派の票を確実に取り込んでいくことで築かれて来た。キリスト教の信仰なしにして、「(G.W.)ブッシュ大統領」――それも、二期に渡って――は存在し得なかったといっても過言ではない。そんなブッシュが突然、"Happy Holidays!" である。「何かおかしい」と疑ってかかるべきだろう。
 私が考えるに、ブッシュは〈クリスマス〉に再びキリスト教の息吹を吹き込もうとしているのではないだろうか。「年末の国民的行事としての、〈クリスマス〉などくれてやる、なんせクリスマスは神聖なものだ。この神聖さがわからぬ非クリスチャンにまで、クリスマスを祝わせるなんてとんでもない」という訳だ。〈クリスマス〉の再-神聖化とでもいおうか。公共の場、つまり学校や役所などで徐々にクリスマスが排除されていけばいくほど、クリスチャンの家庭や教会において、クリスマスというものの神聖さがより一層浮き立つのではないだろうか。「世俗世界は〈サンタクロース〉だのなんだの言って、年末行事としての〈クリスマス〉を楽しんでいるが、われわれは「キリストの生誕を祝福する行事」としての「本物の」、「神聖なる」クリスマスを祝おう」と。そして、いささか大胆な仮説になるが、ブッシュ政権は、アメリカという国の理念としては「自由」「平等」「民主主義」などといった非宗教的理念を掲げておき、その一方で、個人的なレヴェルにおいては、キリスト教保守派の価値観や倫理観でもって人びとを徹底的に支配しようとしているのではないだろうか。そうなれば、率先して「悪の枢軸」と戦おうとする、従順な国民が生産されてゆくことだろう。一見、何のことも無い言葉の差し換えに見えるが、“Happy Holidays!モ という言葉に込められたブッシュの思いは、意外なまでに大きいのかもしれない。










参考図書
ボードリヤール『消費社会の神話と構造』(紀伊国屋書店

参考資料
アメリカにおけるクリスマスの現状
『読売新聞』(2004年12月24日)より「クリスマスが祝えない!?キリスト教の国アメリカ…是非議論が過熱」
・サンタクロースの起源
http://www.uraken.net/zatsugaku/zatsugaku_122.html
・ブッシュとキリスト教右派の関係
ニューズウィーク(日本版)』(2003年2月26日号)より「A Nation Bound by Faith 神と正義を信じすぎた国」
ニューズウィーク(日本版)』(2003年3月12日号)より「Bush and God 大統領を動かす神のささやき」
毎日新聞』(2004年12月21日)より「「宗教右派」法律家育成 価値観代弁、目指し」
http://www.getglobal.com/war/iraqwar5.html

サンタケロース

 薬屋のお馴染みのケロくん(本名は知らない)はとっても可愛く、頭部はないから見る度に目ん玉を撫でてやりたくなるが、社へ向かう道中の薬局にいるケロくんは今、無理矢理にサンタクロースにされていて、それがまた可愛い。前述の通り頭部はないので、例のサンタクロロースの頭巾はキョロ目の上に被されていて、また、前を通りがてらちょっとやそっと眼を遣るだけでは分からない仕組みによって顎に白ヒゲが付いている。例の上着はと言えば、極限までに短い腕の先の手を出すべく、人間だったら袖無しになる位までの腕まくりをされ、もはや機能を失った有り余った裾が足下に集約されている。ケロくんは確か、直立不動だったと思うのだけれど、布が被せられているとどうしたことか、胡座をかいているように見えるから不思議だ。ところで私は、なんであれ、可愛いものの前を通り過ぎるときうんうん頷きながら「可愛いのね」と囁いてしまう。だから、ほぼ毎日このケロくんを見ては「可愛いのね」と云っていたのだが先日、雨の日にこのドラッグストアの前を通りかかったら、居ない。「えっえ、そんな訳ないじゃん」と軽く動揺しながら探してみると、縦長の店の左奥にちゃんと居た。安心した。

第三章 ノマドの世界

第一節 国家と「アイデンティティパラノイア

「国家」(‥‥)――それは金毛獣のある一群のことであり、戦闘的体制と組織力とをもって、数の上では恐らく非常に優勢であるが、しかしまだ形を成さず、まだ定住していない住民の上に逡(ため)らうことなくその恐るべき爪牙を加えるあの征服者や支配者の一種族のことだ。実にこのようにして地上に「国家」は始まるのだ。(‥‥)彼らは運命のように、理由も理性も遠慮も口実もなしにやって来る。電光のようにそこに来ている。余りに恐ろしく、余りに突然で、余りに説得的で、余りに「異様」なので、全く憎いと思うことさえできないほどである。彼らの仕事は本能的な形式創造、形式打刻である。(‥‥)彼らの出現する所にはある新しいものが、生きた支配形態が成立する。そしてこの支配形態のうちでは、諸部分や諸機能はそれぞれ限局されつつしかも関係づけられており、また全体に関して「意味」を孕(はら)んでいないものには決して場所を与えられない。

われわれが生きている現代は、普遍主義や性の解放といったわけのわからない言葉を取り入れているにもかかわらず、たえずさまざまな仕切りを作り出しては、それをほぼいたるところに撒き散らしているのです。

 全地表を国家が覆い尽くした現在、地球人にとって国籍を持つこと、いずれかの国家に属していることは自明なことである。しかし、現在のような国家集合体が成立する以前、国家や王国という捕獲装置から常に逃れ続け、ときにそれに攻撃を加える「野蛮人」がいた。ノマド遊牧民)である。彼らは、条里化された領土内に根を張って定住することを拒み、草原や砂漠などの「制限も禁止もない滑らかな空間」 を移動し続けていた。しかし、理性の光が全世界を照らし出す過程で、国家は彼らを「平等主義」の名の下に捕獲し、国籍を与えた。いわく、「国籍がないとあなたは存在しないことになり、様々な権利を侵害され、不平等な扱いを受けるでしょう。だから、あなた方にも国籍をあげましょう」という訳だ。その傍らで地球は条里化されてゆき、ノマドの移動空間は完全に失われた。確かに、現在も遊牧生活を営む人たちはいるが、彼らも今ではいずれかの国の国民であり、その移動空間は制限と禁止だらけである。だから、この世にノマドはもう存在しない――はずである。いや、実際その通りだろう。だが気をつけなくてはならないのは、ノマドはそもそも存在しないということだ。彼らはどこにも根を張ることなく、ひたすら移動し続けている。だから、如何なるコードも定義も、彼らを捕らえその枠の中に定住させておくことはできない。「ノマドとは〜である」と言った瞬間に彼らはもう既に、この定義かをすり抜けて、遠い彼方を走っているのである。どれだけ言葉を尽くして彼らを書き留めようとしても無駄だ。われわれにできるのは、「せいぜいその輪郭を描いたり、示唆すること」 くらいなものである。彼らは、国家の捕獲装置やあらゆるコードから常に逃れてゆく。そういう意味で、ノマドは「絶対速度」 を持っている。俊足な彼らは、地中深くに根を張って存在することなどできない。ノマドとは言わば、原理的な不在者のことなのだ。
 国家はこの捉えようのない者たちを恐れる。なぜなら、捉えようがないゆえに、何をしでかすか全く予測不可能だからだ。そこで何とかして彼らに「形式打刻」し、それがうまくいかない場合には排除する。だが、国家は「一つの断絶、一つの飛躍、一つの強制、一つの不可避的な宿命として現われ」る ので、われわれは形を与えられることの暴力性に気付くことも、疑問に思うこともないし、むしろそれを「良きこと」として、率先して受け入れるのだ。かくして、「私」という確固たる型を構築し、その型に合わせて自らを造形するという自虐的行為に誇りを抱く、「アイデンティティパラノイア」なるものが出現する。そして、様々な対象を呈示しながらそれらに同一化するよう、われわれに要求するのが、「二進法の機械」 である。「お前は本当の自分を知っているか? 知らないって? それはかわいそうに。では、どうやったら見つけられるか教えてやろう。簡単なことだ。質問に答えればいいだけさ。男か、女か? 大人か、子どもか? 白か、黒か? 右か左か? 金持ちか、貧乏か? 邦人か、異邦人か?」。四方八方から迫り来るこのコード化の機械に従って確固たるアイデンティティを手に入れた人々は、自惚れた笑顔を浮かべながら、「一体君って人は、自分のことを知っているのかね? 私のように本当の自分を発見したのかね?」と問い質し、自らも二進法の機械と化す。
 また、国家権力の二進法を批判し、「第三の項目を!」と息巻く人々もいて、彼らはその願いが叶うと「これで、国家の悪は是正された」と涙する。だが、項目を幾つ増やしたとしても、二進法の機械は作動し続けている。「男でも女でもないなら、オカマかオナベか、ニューハーフか、それとも‥‥?」といった具合に、「最初の分割に入っていなかった諸要素間の選択肢」 が生み出さているだけなのだから。結局のところ、権力の悪を叫びながらコードの細分化に勤しむ人たちも、アイデンティティを構築せよという国家の要求に素直に従っているに過ぎないのだ。
 アイデンティティパラノイア。それは、殻に自閉することで、異なるもの、未知なるもの、ウンハイムリッヒなものを弾き飛ばす、保守的な故郷熱愛者である。彼らはある対象やカテゴリー、役割に自己を同一化することで、自身の可能性を削り取る。「あたし、文系だから数学って駄目なのよね。」「どうせ、カエルの子はカエルさ。」パラノイアたちは、例え外の世界を知ったとしても、「私が安らげるのは故郷だけだ」と言いながら、渋い顔でそそくさと自己の鋳型の中に戻って行ってしまう。彼らは、ノマドの笑い声には耳を塞ぎ、未知なるものを前にすると、恐れのあまり、ろくに見もせずに目を塞いでしまう。そんな彼らが、グローバル化と呼ばれる現象によって、ウンハイムリッヒな者がやすやすと共同体の中に入って来ることに耐えられず、ただひたすら排除し続けるのは当然のことと言わねばならないだろう。
 だが果たして、国家に根を張り、その型に嵌り込む――それも自分の身を変形させてまでして――必要など、あるのだろうか? 恐らく、国家への愛と忠誠を誓う人にとってはそうなのだろう。彼らはそもそも、鋳型に自閉することが窮屈だということさえ知らない。だが、国から与えられた鋳型から逃れていった「現代のノマド」、アクショーノフの言葉に耳を傾ける人ならば、そんな必要がないことを知っているだろう。しかしながらわれわれは、一体どのようにして迫り来る二進法の機械を退け、同一性の地獄に陥るのを回避すればいいのだろうか? また、どうしたら、生まれながらに型を知らないぽんちゃんを「故郷のない、帰属意識のないかわいそうな子」という境遇に押しやらないで済むだろうか?

第二節 ノマドになること

 言うまでもなくわれわれは、右へ倣えと今すぐ国籍を捨て、アクショーノフのようになることはできない。第一、日本の法律では国籍は放棄できないし、そんなことをしても彼と違って無国籍を享受することなどできないだろう。むしろ、今まで慣れ親しんで来た、当然のように得ていたメリットがなくなるだけで、却って生活が苦しくなるだけだ。また、無国籍の人に誰彼構わず、「あなたって、ノマドですね。良いですね」などと言うのも馬鹿げている。なぜなら、パレスチナ人のように無理矢理故郷を追われ、それ以来、どこにいようとも排除の対象となっている無国籍者もいるのだから。要するに、全ての無国籍者がノマドである訳ではないし、われわれが国籍を捨てた瞬間にノマドを名乗れる訳でもない。そもそも、ノマドは「=」という記号を、同一化の装置を吹き飛ばし、如何なる定義からも逃れてゆくのだから、「誰彼はノマドである」と言うことはできない。だから、「アクショーノフはノマドである」というのは厳密に言えば間違いだし、「私はノマドだ」と言える人も誰一人としていない。ノマドは、同一性の原理や存在といったものではなく、「生成変化」の次元に関わるのだ。つまり、「ノマドである」ことはできないが、「ノマドになる」ことは誰にでもできる。
 アイデンティティパラノイアたちが日々、自分を鋳型に閉じ込め、立派に仁王立ちするのに対し、ノマドはあらゆる鋳型から翻身して、留まることなく流れ続ける。だから、二進法の機械は、如何なる項目にも身を落ち着けず、それらの間をすり抜けてゆく彼らを前に途方に暮れ、選択肢を細分化させることで、何とかノマドを捕獲しようと試みる。「どっちでもない」し「どれでもない」ノマドにとって、それが如何に虚しいことかも知らずに。国粋主義者たちはそんなノマドたちを「けしからん」と追い立て回し、同一性の原理を受け入れるよう迫るだろう。だが逆に、ノマドがそうした人たちを咎めることはない。それは恐らく、ノマドになることは「難易度や理解力の問題ではまったくない。(‥‥)音や色や映像のようなもので、強度があなた方に合っているかどうか、通じるかどうか」 によるのみからだ。根拠のない好みを人に強要できないように、ノマドになることを誰かに押し付けることはできない。そもそも、変化し続ける人は、一定の状態に留まる人に構っているくらいならどんどん先へ行ってしまう。例えば、「不調」ながらも四年連続で年間二百本安打を超えてみせたイチローはこんなことを言っていた。「バッティングと言うのは常に動いているんですよ。(‥‥)だからそれが、バッティングに終わりがないという所以でしょうね。」「常に意識することの“常”が動いて行く。だからこうすれば絶対大丈夫、というのはないんですよ。」 言うなれば、イチローのバッティングは、フォームならざるフォームであり、日々変化し続けているのだ。そして、彼の強さに秘訣があるとすれば、それは、一定の型の中に留まることが決してないということだろう。両手に持ったボールのほんの僅かな重さの違いさえも感知するほど微細な差異に敏感な彼は、今まで経験したのと同じ試合、あるいは打席が存在しないことをよく心得ているのだろう。同一な打席が存在しないのならば、全ての打席は毎回新しいし、バットの振り方も毎回異なる。イチローは強さに方程式がないことを知っている。だからこそ、フォームを固定化させそこに留まることなく、次々と変化し続ける。かくしてわれわれは、どんどん先へと突き進む彼に追い付くことができずに、シーズンが終わった後、スローモーションの映像を見たりすることで、辛うじてその変化の軌跡を辿ることくらいしかできないのだ。
 もちろんわれわれは、イチローになることも、アクショーノフになることも、ぽんちゃんのような完全な無国籍者になることもできないし、なる必要もない。そうではなく、アイデンティティの鋳型を溶解させ、ノマドになること、自己を生成変化に導くこと、それだけが必要なのだ。そしてそれは、誰にでもできる。とは言え、自分という殻の外を、異なるものを、ウンハイムリッヒなものを恐れるのもまた当然なのかも知れない。未知なる外の世界は不可解で、何が起こるか予測不可能である。だから、途轍もなく危険に見えて、不安を誘わずにはいられない。何があるか分からないし、ひょっとすると何もないかも知れない。自分の知っている常識や規範(コード)は全く通用しない。お気に入りの食べ物も、くつろげるソファも、我が家もない。しかし、想像を絶するほど不味い食べ物に出会う可能性は同時に、全く新規な、度を越した美味しさに出会う可能性でもある。要するに、外の世界は未知であるがゆえに、無限の可能性を孕んでいるのだ。異郷で知った美味しさやそれを発見したことの喜びは、単調で何の変哲もない日常では決して経験できない。あり得ないところで、あり得ないものに出会う新鮮な驚きや嬉しさ、素晴らしさ――。こんな風に考えてみると、ウンハイムリッヒはもはや「不気味」ではなくなり、「魅力」へと転化する。既知の、ありふれた、馴染みのある世界に同一化し腰を落ち着けるか、それとも、異なるもの、ウンハイムリッヒなものに導かれて外へと旅立つか。恐れを押し退ける好奇心を胸に未知の可能性に身を委ねるとき、我が家を限定しないとき、われわれは安らぎや「お袋の味」が、故郷だけではなく、そこかしこにもあるのを知るだろう。
 確固たる帰属意識を作り上げ、それに固執するのではなく、アイデンティティから身を引き剥がし、必要とあらば忘却すること。われわれに必要なのは、「本当の自分」を探し求める自己啓発セミナーでも自分探しの旅でもなく、「公衆健忘所」 だ。今度また誰かに応援対象についてとやかく言われたり、同胞を応援しない者に嫌悪感を示す人がいれば、「あら、私って無国籍なのよ。だから日によって応援する国が変わるのよ」とさらりと言ってやろう。あるいは、場合に応じて何人(なにじん)にでもなってしまおう。「日本人」というフィルターを通してしか自分を見てくれない人がいれば、ことあるごとにその人のイメージを裏切り続け、自分に嵌められた日本人という鋳型をひび割れだらけにして、そこから脱出すれば良い。偏見を持つ人に憤慨するのではなく、彼らのコードに水漏れを起こそう。異常なことを涼しい顔でやってしまおう、身体を硬直させ一点を凝視し続ける「正常病者」 たちの脇を軽やかに通り抜けながら。

第三節 ノマドとコードの関係

 ノマドはあらゆるコードを逃れてゆくが、文字や文法といったことばの秩序、規範(コード)を知らずに読書の快楽を得ることができないように、コードそのものを否定する訳ではない。そうではなく、コードを知り尽くし、強奪すらしてしまうのだ。既存の語や文法に従いながら、突拍子もない組み合わせで全く新規な語を創り出し、コード化され得ぬ何ものかをコードの下に流通させる。互いに異質である語を連結させたり、新しい使用法によって、既存の意味の枠を決壊させる。定義の不当な拡張あるいは限定。「何かを正確に示すには不正確な語しかないのだ。異常な語を創ろう。ただし、それをもっとも普通の用い方で、ごく普通の事物と同じようにそれらの語が示す実体を存在させることによって。」 一冊の本は言語というコードによって書かれている。だがもし、ある書物や文章からインスピレーションを得ることがあればそれは、書き留められていた、一時的にコード化されていた何ものかを解き放ち、そこに生じた流れに身を投じているのだ。コードの下を流れる何ものかを感知するためには、文字通り「行間」を読まなければならない。
 われわれは、国家公認の「正しいコード」たる国語の中で、秘密の言語、仲間内の言語、マイナーな言語、暗号を創り出さなければならない。あるいは、「自国語そのものの中で外国人のように話すこと」 。そうすることで、コード化不可能なものが流れ始め、「すべてのコードをごちゃ混ぜに」 してしまえるのだ。「秘密」だとか「仲間内」、「暗号」と言うとまるで自己閉塞しているようだが、それらの言語は共感を寄せる者を決して排除しない。円環は閉じていないどころか、誰に対しても開かれている。コードの内に塞き止められていた流れを、漏洩させること。「あたかも外国人であるかのように言語を話すのではなく、自国語の中で異邦人たること」 。異常な言語に注目し、自らもそのことばで喋り、書き、考えること。異質なものを組み合わせること。「正しい日本語」という捕獲装置から、日本語を逃走させること。「突飛で不躾な連結によるショック」 を生むこと――。
 二進法の装置は増々精密になり、われわれを確実に捕まえようと、あちこちからピンポイントで攻撃を仕掛けてくる。ノマドは今日、絶滅の危機に瀕しているかも知れない。だがどんなに精度が上がろうとも、動き続け、決して点になることのないノマドの逃走線を殲滅させることはできない。また、どれほど捕獲の編み目が細かくなったとしても、格子状である以上、必ず隙間は存在する。どれほど小さくとも、ノマドは間さえあればそこをすり抜けてゆく。(定住者は、縦糸と横糸からなる織物しか作れないが、ノマドたちは〈反織物〉、隙間のないフェルトを作ることができるのだ 。)だからこう断言してしまおう。どんなに国家やそれを愛するアイデンティティパラノイアたちが強大な力を手にしようとも、ノマドは死に絶えることなくこれからもずっと生き続ける、と。

第四節  結論に代えて

 君がそれであるところのものとなれ。君の上に投げつけられた肩書き、社会的分類の中での範疇化にすぎない、あらゆる同一化を逃れよ。君はこの番号ではない、このうわべではない、この化石化した言語ではない。君がそれであるところのものになれ。君をつらぬく諸力に道を与え、扉を開けよ。君がそれであるところのもの、それは君の中にはない。君がそれであるところのもの、それは他者へと生成する君の能力、君以外の他者を迎え入れる能力なのだ。
 君がそれであるところのものとなれ、わたしとはひとりの他者なのだ。(強調、引用者)

 現代人は、定住し、国家という装置に繋ぎ止められた確固たる存在として、アイデンティティを持って生きることを「良い」こと、「幸せな」ことだと信じ込まされている。だから、如何なる国家とも無縁なぽんちゃんを前に、不安になってしまったりするし、アクショーノフの「無国籍って良いですよ」という言葉を肯定するのを躊躇し、首を傾げては訝しげな目を向けてしまう。
 ぽんちゃんを「不幸な子ども」、「かわいそうな子ども」に仕立て上げるのはあくまでも国家に追従する定住民たちだ。また彼は今後、無国籍であるがゆえに様々な不便を蒙るだろう。だが、この少年に不便を強いるのも、やはり国家なのだ。彼を取り巻く人々がそのことにさえ気付けば、文字通り何ものにも捕われていないぽんちゃんが孕んでいる、無限の可能性が死産させられることはないだろう。また、国というものに帰属しないことを自らの意志で選択したアクショーノフの言葉は、無視してしまえば、有国籍者であることに疑いを持つことなく、それまでと変わらぬ生活を送ることができる。しかし、彼の異常な言語に耳をすませてみると、われわれは存在と同一性の原理から引き離され、ノマド的思考の次元へと移行する。外の世界へと旅立つこと、異なるものに触れること、そしてそのことで、自明な、常識的なことに少しでも疑問を感じること。そこからノマドへの変身が始まる。だとすれば、有国籍者であること、存在することをもはや自明視せず、それらが「良い」ことだと素朴に信じることもないわれわれは、既にノマドへの生成の第一歩を踏み出しているのだ。



-参考文献

-書籍以外の参考資料

第二章 「六本木の赤ひげ」

第一節 インターナショナル・クリニック

 東京は六本木。様々な国籍の人びとが行き交い、世界各国の人びとが同胞人とたむろすることのできる空間があちこちに存在する。また、多くの国の大使館や、お客の大半を外国人が占めるという国際的なホテルも数多く立ち並ぶ。様々な国の要素がミックスされ、「どの国の」とは言えないが、どことなく異国情緒が漂うきらびやかな大人の街、六本木は多くの人びとを惹き付けて止まない。が、多くの店が並ぶメインストリートには、体格の良い――多くの場合黒人の――ガードマンが立ちはだかり、この街の華やかさの裏面ともいえる物々しさを演出している。
 こんな街の一角に、「うっそうと茂った樹木に隠れるようにして洋館造りの建物がある」 そうだ。「インターナショナル・クリニック」である。ここでは、日本の健康保険は適用されず、外国の健康保険のみ通用する。だが、「インターナショナル」たる所以はそれだけではない。この病院はなんと、英語やフランス語、ドイツ語、ロシア語にギリシャ語、中国語などの言語で対応してくれる。ほかにも、詳細な薬のデータベースを駆使し、国や文化によってそれぞれ異なる薬の名称を日本での呼び名に「翻訳」してくれる 。薬の有無や正誤がときとして、そのまま患者の生死を左右してしまうことを考えると、この「翻訳」の果たす役割は意外なまでに大きい。それだけではない。この病院の設立者でもある院長は、日時を問わず往診にも応じてくれる。更に驚くべきことに、患者の支払い能力によって診察料が変動する。困窮を極める人からはお金を取らないが、富める者からはガッポリといただくと言う訳だ。また、入院施設を持たないこの病院は、患者に入院が必要な場合、事実上提携関係にある病院に治療を依託しているのだが、患者の懐具合に配慮して、入院治療費まで肩代わりしたこともあると言う。現在、この病院では、英語を共通語とする五人の医師が働いている。日本人二人に、マレーシア人とアメリカ人が一人ずつ、そして何国人でもない、院長のユージン・アクショーノフだ。このアクショーノフという男、彼こそが「六本木の赤ひげ」である。
 黒縁眼鏡に白髪の、温和な雰囲気が漂うおじいちゃん、アクショーノフがインターナショナル・クリニックを六本木に開業したのは、もう半世紀以上も前の一九五三年のことである。第二次大戦中の一九四三年、日本の敗戦とともに消滅した満州国ハルビン(哈爾浜、「ハルピン」とも言う)から、医師を目指して来日した彼は、東京慈恵会医科大学に学び、一九五一年に医師国家試験に合格した。ところで何故、彼は医師になるために日本へやって来たのだろうか? この問いに答えることはそのまま、彼の複雑なバックグラウンドを語ることにもなる。そこで、この特異な人生を歩んで来た人物の伝記とも言える書物、『六本木の赤ひげ』を繙いてみたい。

第二節 アクショーノフの生い立ち

 一九二四年三月、アクショーノフはハルビン郊外のヤーブロニャというところで生まれた。父ニコライは赤軍との戦いに破れた後、運の味方もあり、命からがら中国領のハルビンへと逃げて来た白系ロシア人である。現在、黒龍江省省都となっているハルビンは、「帝政ロシアが十九世紀末極東進出の拠点として」「東洋のモスクワ」を目指して、建設された都市だ 。一九三一年の満州事変後、ヤーブロニャ周辺は「各国軍人や馬賊が暗躍」する危険な地帯となったため、一家はハルビンの商業地域にあった日本人街に居を構えた。父はそれまで、ヤーブロニャの製材会社に勤めていたが、日本軍の進出により経済的に苦しい状態に陥った。これが、ユージンの人生に一つの転機をもたらす。彼らは家計を少しでも楽にするために、家の半分を、熊本県からやって来た女性二人に男性一人の三人「きょうだい」(原文ママ)に貸すことにしたのだ。そしてこのきょうだいが、彼に日本語を教えた。一九三二年、満州国建国が宣言され、日本軍がこの地域に進駐すると、ニコライの勤めていた会社は倒産し、経営権は日本人に移り、彼は職を失う。これを機に、馬好きであったニコライは、ハルビンから遠く離れたサルトゥ という所に土地を買い、牧場経営を始めた。一方ユージンは、ハルビンの中心街にあった全寮制のフランス系カトリック・スクール、「聖ニコライ学院男子学校」に入る。ここで、彼は英語を習得する。そして満州国が建国十周年を迎えた一九四二年、十八歳になったユージンに、運命的としか言い様のない出会いが待っていた。この年の夏、日本から華族の視察団が満州へやって来た。父ニコライは、丈夫な新種の馬を作り、関東軍などに売っていたのだが、ある日この一行が彼の牧場へやって来た。夏休みで帰省していたユージンは通訳を買って出たのだが、一行の中にいた津軽義孝(後に常陸宮華子の父となる)と親しくなった。津軽らを招いた夕食の席で、ユージンは将来の進路を尋ねられる。六歳の頃から医者になろうと思っていた彼は、「フランスへ医学の勉強に行きたい」と告げた。フランス系の学校に通っていたため、フランスの大学には無試験で入ることができたからだ。だが、パリをドイツ軍に占領されていた当時のフランスは、留学生を受け入れるような状態ではなかった。このことを心得ていた津軽たちは、日本で勉強することを提案する。「日本には伝手がない」といってその申し入れに躊躇するニコライに対し、津軽はユージンの面倒を見ることを約束する。そして、約束は果たされた。夏休みが明けるとユージンは、日本への留学を勧める招待状を受け取る。満州に留まっていればいずれ、関東軍指揮下のロシア人部隊に入隊しなくてはならないことと、夢に一歩でも近づくために、彼は日本行きを決意する。ビザ取得などの手続きをする傍ら、早稲田大学国際学院の留学生を対象とした日本語特別コースの受験許可を得た彼は、出発の手はずが整うと一九四三年三月、日本へと旅立った。
 一九四四年、激しくなる一方の戦火の中、早稲田大学国際学院を一年で修了したアクショーノフは、津軽の勧めもあり、東京慈恵会医科大学に入学する。戦時中、彼は憲兵に監視されていたが特に困ったことはなかったようだ。それどころか、憲兵から映画のエキストラの仕事を紹介され、数々の映画に(敵国人役として)出演し、結構なギャラを得ることができた。(あの喜劇王エノケンと共演したこともあるという!)戦後、彼はGHQ連合国軍総司令部)に通訳として雇われるが、あるとき、白系ロシア人の軍医と知り合う。この軍医は、せっかく医学を学んでいるのだから、と言ってアクショーノフを――彼が医大の二年生であるのにも拘らず――米陸軍病院で働けるように手配してくれた。ここで彼は、通訳をしながら医者としての修行を積んだほか、松岡洋右を始めとするA級戦犯と会話を交わすという、特異な経験までしている。
 終戦の後、何年かすると、アメリカから軍人のみならず、民間人も来日するようになったが、民間人を米軍病院で診る訳にもいかないということで、港区芝公園に民間人を対象とした診療所が開設された。アクショーノフは暫くの間この診療所と陸軍病院で働いたが、一九五三年に独立し、六本木にクリニックを開業する。三年後に現在の場所へ移転するが、これが「インターナショナル・クリニック」の始まりである。

第三節 アクショーノフと無国籍

 さて、繰り返しになるが、アクショーノフは満州国からやって来た。そもそも、満州が「国」として国際的に承認されていたかどうかは判断の分かれるところだが、何はともあれ、彼は満州のパスポートを持って来日した。が、日本の敗戦とともにこの国は消滅した。よって、彼の国籍は日本にいる間に消失した。
 戦後、満州国の国籍を失ったアクショーノフには二つの選択肢があった。日本国籍ソ連国籍の取得である。だが、前者は素行内容を事細かにチェックされる上、文化的にも日本人になりきることが要求されていた。なぜなら、血統主義を基本とする日本の国籍法にとって「帰化」とは、ある外国人が日本という国の正当な構成員になることであると同時に、「日本民族」になることをも含意しているからだ 。言うまでもなく、この幻想に過ぎない「日本民族」という形象は、未だに外国人の日本への帰化を困難なものにしている。また、後者を選ぶと当時働いていた米陸軍病院で働けなくなる可能性があった。もちろん、ソ連国籍を取得し、ソ連へ帰国するという手もあったが、この国で生きて行くためには、マルクス・レーニン主義イデオロギーを受け入れる必要があることを知り、この可能性は否定された。革命以前のロシアに愛着を寄せるアクショーノフにとって、「マルクス・レーニン主義は最もいやなものの一つ」 だったし、「イデオロギーで押えつけられる生活は、私にはとても我慢できないと思った」からだ。そして、彼が選んだのは第三の道、「無国籍」である。どっちつかずの「無国籍」であるがゆえに、冷戦期は両陣営からスパイと疑われ、逮捕されたことさえあるアクショーノフはこう言い放つ。「無国籍ってとても自由ですよ。国家やイデオロギーに縛られなくてすむ」 。また、冗談まじりに「国境のない診療所には、国籍のない院長が似合う」 とも言ってみせる彼は、明らかに、無国籍という立場を思う存分に享受している。

第四節 「有国籍者」とは?

 「〜ができない」「〜がない」などと否定形ばかりに包囲され、避けるべきとされる無国籍を享受するアクショーノフは果たして、頭のいかれた「不気味(ウンハイムリッヒ)な」おじいちゃんなのだろうか? 今なら難無く国籍を取れるのにも拘らず、それを拒み続けるアクショーノフの言葉を、「彼はあくまでも特殊な例だし‥‥」と言ってやり過ごすべきだろうか? 国際社会やハイデガーの立場からすれば、そうだと言わざるを得ない。だが彼は、無国籍者の反対、余りにも当然過ぎて立ち止まって考えることのない「有国籍者」について言外に何かを語ってはいないだろうか。例えば、人生の四分の三を無国籍者として生きて来たアクショーノフが「国家やイデオロギーに縛られ」ていないのならば、われわれ有国籍者は、いずれかの国やイデオロギーに拘束されているのだろうか。
 よく言われることだが、日本で普通に暮らしていれば、「私は日本人である」などと意識することはない。だが、インター・ナショナルな空間となると、急に「日本人」という意識が頭をもたげ始める。四年前のサッカーのワールドカップ期間中、日本中が真っ青に染まり、そこらじゅうに日の丸がはためいていた光景は、記憶に新しいだろう。しかもこの年は日韓が不自然に歩み寄ったためか、日本人どころではなく「アジア人」という同胞幻想が生まれていた。韓国とある西欧の国が戦った晩、その国のユニフォームを着て飲み屋で一生懸命応援していた私は、見知らぬ人に叱られてしまった。「お前は日本人なのに、アジア人なのに、何で韓国を応援しないでヨーロッパの国を応援するんだ!」と。それも一度だけでなく、三度も! なるほど、アクショーノフは正しい。日本人である私は、自分の好みで応援するチームを決めることすら許されていないのだ。また、異国でたった一人の日本人として暮らしているときも、「日本人」という鋳型に嵌めこまれてしまうことが多々ある。例えば、熱心に楽器を練習しているとすると「日本人って、練習熱心だね。ここの国の人だったら、絶対にあんなに練習しないよ」と言われ、また逆に怠けていると、「日本人なのに、君は怠け者だなぁ」といった具合だ。私は練習熱心だったり、怠け者だったりする以前に、まず日本人でなくてはならないのだ。「日本人」という甲冑をぶち壊し、自分の名前を獲得するのにどれほど苦労することか! だが、ある特定の国を想定してもらえるだけまだましかも知れない。何せ日本には、日本人以外の者を一緒くたにして放り込む「外国人一般」という鋳型があるのだから。日本で外国人として暮らす人々にとって、それが如何に窮屈であるかは、容易に想像できるだろう。以前アルバイトをしていたコンビニでは、人手が足りないのにも拘らず、応募して来た女性を「外国人」というだけで、ことも無げに断っていた。ほかにも、逃亡中の容疑者の特徴として、「外国人とみられる男(女)」という言い方があるが、これでは、ほとんど何の特徴にもなっていない。日本人が疑いの的から外され、代わりに多種多様な外国人に一様に、疑心の満ちた視線が注がれるだけだ。二、三年ほど前のことだったと思うが、片言の日本語と英語で強盗を働いた人が、「外国人とみられる男」として行方を捜索されていたが、実は日本人だった、なんてこともあった。犯人の発見が遅れたのは言うまでもない。
 また、極端な例になるが、二〇〇四年四月、戦乱のイラクを訪れた幾人かの日本人が武装勢力に身柄を拘束されるという事件が起きた。本人らがどれだけ真摯に反戦反米の態度を貫いていようとも、日本国籍を有していれば、アメリカに追従する日本政府の代理、あるいは象徴として捕らえられるに価するのだ。しかも当然の事ながら日本人を守ってくれるはずの政府は、迷惑千万といった様子で「助けてやったんだから、かかったカネを返せ」とまで言い出す始末だ。(あれ以来大流行りの「自己責任論」が、国による国民保護の責任を回避する論理として立派な機能を果たしているのは言うまでもない。)確かに、日本国籍を有し、日本国が発行したパスポートがなければ、彼らはイラクに入国することさえできなかっただろう。また、彼らが無事帰国できたのも日本政府が人質の解放に向けて動いたからだろう。では、解放された日本人たちは政府に謝罪し、国民に犯罪者のように扱われることに耐え(彼らが空港に降り立ったら、卵を投げ付けようと画策していた人たちさえいるという)、「罰金」を支払うべきなのだろうか。もちろんそんなことはない。なぜなら、自衛隊イラク駐留が、「イラク侵略」を目的としない彼らが危険に巻き込まれる可能性を飛躍的に高めたのだから。国家の政策はときとして、個人の主義主張をいとも簡単に吹き飛ばし、国民にまとわりついて牙を剥くことがある。そのことを見事に証明してしまったのが、イラクでの人質事件だったのではないだろうか。「自己責任論」を前面に押し出し、「自分でしたことには自分で落し前をつけろ」と人質を邪見に扱う政府の態度に、「果たして日本政府には、国民を保護する気なぞあるのだろうか?」と疑問に感じた人が、少なからずいたことだろう 。ついでに言い添えておくと、無事帰国した日本人が政府から渡航費を請求されたことを驚きを以って伝えたドイツでは今年(二〇〇六年)、イエメンで拘束され、後に解放された家族の帰国費用を税金で全額負担すべきかという議論が沸き起こっている 。
 以上のような現象を見せられて来たわれわれは、あらためて、アクショーノフが言外に語っていることに思いを致さずにはいられない。国民であること、有国籍者であること、国籍によって一定の国に帰属していること、ウンハイムリッヒでないことの肯定性や自明性に疑いを差し挟む余地は、十分にあるのだ。そしてこのことは、国籍を得ることのできないぽんちゃんを、「無国籍地獄」から救い出す可能性があることを示唆している

第五節 無国籍という自由

 ウンハイムリッヒでないこと、つまり、故郷に根をはることで常に一貫した帰属意識を持ち、確固たる存在として生きること。ハイデガー自身は、宙に浮く地球の写真を目の当たりにして、人間が大地に根を張るという安定した感覚が、もはや完全に打ち砕かれてしまったと嘆いたそうだが 、人々は未だに根を生やすことを望むし、ウンハイムリッヒに良からぬ価値を付与する傾向も根強く残っている。だから現代社会はウンハイムリッヒな人が発生するのを避けようとして、全ての人間に生まれながらに国籍を付与し、どこかの国へ根付かせ、その国の人間である証拠としてIDカードを発行する。そして全ての国民は、このカードに記された情報に自己を同一化することで、国に保護されると同時に、様々な権利や自由を享受できる。だから、どこの国からも身分証明書を発行してもらえない無国籍者だけでなく、そこに表記されている情報への同一化を拒む人も、国民であることで得られるメリットを断念しなくてはならないし、根拠無き者として、その存在の足場を失う。そこで人々は無根拠になることを恐れ、ことあるごとに「私」を根付かせる。かくして、しっかりと大地に足を踏ん張り、「私は〜である」という自己同一性に貫かれた存在者、あるいは何にも流されてゆくことのない確固たる「主体」が尊ばれることになる。また、「私とは誰か、私とはどんな存在か」と問い続けることでより確実なアイデンティティを構築するよう、そこかしこで要請される。あたかもそれが、人類普遍の要求であるかのように。挙げ句の果てには、「自分探し」などというのが流行り出し、「本当の自分」を発見するストーリーが美談として語られている。そしてそれに触発されるようにして、人々はプロフィールの作成に勤しむ。(その成果はネット社会で嫌と言うほど見ることができる。)
 そんななか、ウンハイムリッヒに肯定的な眼差しを向けたら、気違い扱いされるだろうか? いや、そんなことはないだろう。われわれは既に「有国籍」であることの負の部分を見て来たし、アクショーノフが無国籍を享受していることも知っている。また彼は、こんなことも言っている。「国籍を取ってもメリットがない。今なら行こうと思えばどこの国へでも行ける。むしろ無国籍のほうが自由でいいですよ」 。無国籍という自由。われわれが享受する自由と、アクショーノフのそれは全く異なる。有国籍者は、自由に振る舞う権利をある国から付与されたり、保証されることで、初めて自由を手にする。だが、アクショーノフは、自分で自由を獲得したのだ。
 彼は、無国籍であるがゆえに、冷戦時代は両陣営から疑われたというが、その逆もありうる。つまり、彼は如何なる国にも属さないのだから、例えば、「私は社会主義者だから、資本主義者のあなたをどうも好きになれない」といった類いの、イデオロギーや国家体制に端を発する嫌悪感や、その反対の同胞意識とも無縁だ。どこにも根拠づいていない、「絶対異邦人」である彼は、誰からも疑われる可能性を孕むと同時に、誰からも信用される人でもあるのだ。彼が、数々の国の大使館や世界各国の人々が訪れるホテルの指定医になれるのは、操る言葉の多彩さだけによるのではなく、こうしたどっちつかずな、立場のなさゆえだろう。文字通り分け隔てなく人と接することのできるアクショーノフが、無国籍者にとって最大の困難の一つ、海外への渡航(日本への再入国証のほか、各国に入る度にヴィザ査証が必要となる)を、今までに培って来た(国際的な)人脈によって、他の無国籍者より楽にクリアしているのにも納得がゆく。何も、「私も国籍を捨てよう」と言いたい訳ではないし、ぽんちゃんに「アクショーノフみたいになれば良いじゃん」と無理難題を突き付けるつもりもないが、どの国家にも、イデオロギーにも縛られないという無国籍者にしか味わえない自由に、抗し難い魅力を感じるのは私だけだろうか? そんなことはないと信じておこう。そして、ウンハイムリッヒへの仄かな憧れを導きの糸に、われわれは無根の思考の中へと立ち入ってゆくことにしよう。

第一章 ぽんちゃんを巡って

第一節 無国籍児、ぽんちゃん

 二〇〇五年十月、新聞に「ぼくは誰?『何とか国籍を』関係者苦慮 国籍不明の子、保護から半年」という見出しが付いた記事が、黒い大きな瞳をした男の子の写真と共に掲載された。三月中旬、栃木県小山市のある日本人男性が、以前工事現場で見かけたことのあるタイ人とみられる男性から子どもを預かった。当然の如く「一時的に預かる」と思っていたようだが、なんと、四月中旬になってもこの子の父親らしき人物が一向に姿を見せないというのだ。困った男性は遂に、同県の児童相談所に連絡するに至った。この男の子、現在は養護施設で元気に暮らしているというのだが、保護からもう半年が経つのにも拘らず、引き取り手は現われないそうだ。だが問題は、この子が孤児になってしまったということだけに留まらない。彼について分かっている僅かな事柄を、記事から引用しよう。

 男の子は身長約一メートル。所持品はなく、「名前は?」と日本語で聞くと「ぽん」と答え、「いくつ?」には片手を広げてみせた。しかし、「どこから来た?」には「あっち」。両親の名前も「パパ、ママ」としか話さなかった。日本語はほとんど話さない。タイ語の質問を少し理解したが、身元がわかる答えは返ってこなかった。

 彼の言う「あっち」が常に一定の方角を差していて、その先に本当に両親の家があったなんてことであれば、それはそれでなかなか感動的なのだが、実際はそうもいかない。性別はともかくとして、本名や親の名前、出身(出生)地や正確な年齢も分からないのだ。
 ここで、いささか唐突だが、財布に入れて携帯している「IDカード」を取り出してよく見てみたい。自動車の運転免許証を持たない私にとって、有効である「IDカード」は学生証と国民健康保険被保険者証の二枚だ。前者には顔写真と共に私の生年月日と名前、所属する大学名や学科名、それに学籍番号やバーコードなどが印刷されている。後者には国から振られた番号に名前、生年月日やこのカードの有効期限(あっ、切れている‥‥)、世帯主の氏名と住所、それに性別が書かれている。ところで、「ID」とは言うまでもなく、メidentityモ(同一性、一致)の略である。だから、これらのカードに表記されている幾つかの「情報」と持ち主の関係を示す記号があるとすれば、それは「=」だ。そしてこの等号が成り立ち、カードの情報が持ち主の身分や属性を保証するとき、彼はまさしく「情報に解体され」 ていることになる。
 さて、「ぽんちゃん」に話を戻そう。彼には、「IDカード」に書き込まれるべき「情報」が性別(と場合によっては瞳の色)以外に何もない。だが子どもは本来、例えIDカードなるものがなくとも、親が身分を保証してくれる。だから五歳児が、「あれ、ぼく、身分証明書なくしちゃったよ。困ったなぁ」なんて悩んだりすることはない。ぽんちゃんも恐らく、自分を巡ってオロオロする大人たちを見て、きょとんとしていることだろう。だがIDカードによって法的な存在が保証されることを知っている大人であれば、現代社会において身分を証明できないという事態に対し、恐怖にも近い気持ちを抱くのは当然だ。私も以前、地元の駅で職務質問を受けたとき(断じて誓うが、怪しい素振りなど見せていなかった)、「学生証を持っていて本当に良かった‥‥」と安堵したものだ。だから、記事の見出しにある「ぼくは誰?」という問いは、ぽんちゃん自身のというよりは、彼を囲む大人たち――こうした事情に「困惑」する養護施設の関係者、あるいは取材をして不安を隠しきれなくなった記者――から発せられた、悲痛な叫びに近い疑問であろう。そして、関係者を更に困らせているのは、ぽんちゃんが「IDカード」を持とうとする場合、一体どこの国の政府に発行してもらったらいいのかが分からないということだ。つまり、彼には国籍が無い。
 日本の国籍法は、血統主義(詳しくは後述)に基づいて定められているため、親が日本人であれば、その子どもはどの国で生まれようと、日本国籍を踏襲する。しかしながら、補完的に出生主義をもとっていて、国籍法第二条第三項によれば、子どもが「日本で生まれた場合において、父母がともに知れないとき、又は国籍を有しないとき」には、日本国籍を取得できることになっている 。ぽんちゃんの場合、両親の国籍が不明なので、この条項を適用してやれば日本国籍を取得できそうなものだ。しかし、「日本で生まれた場合において」というのがネックになる。彼が今現在日本にいるからと言って、日本で生まれたという証拠にはもちろんならない。また、タイ語を少しばかり解するというのは、両親かその一方がタイ人であった可能性を示唆するだけであって、ぽんちゃんの出生を物語る証拠とは到底言えない。現にタイ大使館は、ぽんちゃんへのタイ国籍付与の打診に対し、「タイ人と断定できる証拠がなく、国籍は与えられない」と正式に断った。大使館の担当者によると、「タイ語ミャンマー人でもベトナム人でも話す人がいる。証拠にならない」とのこと 。しかしながら、ぽんちゃんが日本で保護された以上、日本国籍を何とか与えられないものなのだろうか。彼が法的に日本人になりうる可能性として、「関係機関が親を捜すなど手を尽くしたうえで法務省が状況から日本人の子と判断、首長が職権で戸籍をつく」る方法があるという。だが、この方法について「小山市は『状況から外国人の可能性が高く、こうした方法は難しい』と否定的だ。」
 こうなるともはや、マスコミの力に頼らざるをえないだろう。できるだけ多くの人びとにぽんちゃんの存在を知ってもらうことで、彼の親や出生に関する情報を手に入れないと、児童福祉法によって継続されるという保護措置が十八歳で切れた後、この男の子は、「どこの国にも属さない人」になる 。

第二節 無国籍に対する「困惑」や「苦慮」の原因〜国籍とは何か?

 「国籍を有する者」とは、どこかの国に属する「国民」である人のことだ。そして国民は、国が定めた義務を果たす限りにおいて、国が保障する権利を享受することができる。世界のあらゆる国は、詳細は異なるものの、自国民を選別する装置として、国籍法を制定している。これは生地主義(jus soli)か血統主義(jus sanguinis)のいずれかに基づいて定められており、前者は自国で生まれた子どもに、親の国籍の如何を問わず、国籍を与えるというもので、「英米法の国々の他、アルゼンチン、ブラジル、チリなど移民受け入れ国」 で採用されている。一方後者は、親の国籍が基本になっていて、例えば親が日本国籍ならば、子どもも日本国籍を継承する。こちらは、「ドイツやイタリアなどヨーロッパ大陸の国々、そして東アジアの国々、つまり中国、日本、韓国、北朝鮮」 などで採用されている。また、カナダやメキシコでは、生地主義血統主義を併用した制度が敷かれている 。
 言うまでもなく、あらゆる人間は一人の女性から生まれ落ちるため、母と子の関係は、代理母などの特殊な場合を除くと絶対的なものである。ところが日本では、血統主義に基づきながらも二重国籍を防ぐべく父系血統主義を導入したため、この、子にとって最も確実な母との「血」の繋がりが長らく否定されて来た。ついでに言い添えておくと、この制度のために、自分の子どもが無国籍になることに対して何一つなす術がなかった母親たちが沖縄に多く存在した 。もっとも、一九八四年の国籍法改正で父母両系血統主義が採用されたため、現在はこのような問題は発生していない。しかし例えば、出生主義を基準とする国の夫婦が、血統主義を適用する国で子どもを生んだ場合(あるいはその逆の場合)など、無国籍児が生まれる余地は依然として残っている。だが、殆どの場合、以上に述べたような国籍法によって、われわれの国籍は出生時に決定されるようになっている。
 ところで、国民を生まれながらに確実に掬い取る装置である国籍法は、見方を変えれば、無国籍者の発生を避ける装置でもある。例えば、現行の日本の国籍法では、外国籍取得のために自らの意志で国籍を離脱し、日本国籍を喪失することは認められていても、無国籍となることはできない(第十一条および第十三条)。「できない」などという言い方は、不適切かもしれない。なぜなら、「国籍を持たない」ことには何のメリットもないと想定されているからだ。試しに、世界人権宣言や国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の無国籍者に対する姿勢が簡潔に示されている文章を、自身も長らく無国籍状態を経験していた陳天璽という人物の自伝的書物、『無国籍』から引用しよう。

 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、一九五四年に「無国籍者の地位に関する国際条約」を制定し、「国家の分裂あるいは国境線の変更などによって無国籍となる恐れのある人々を守る」ことを提議している。無国籍の状態にある人は、祖国に戻ったり市民としての権利を享受することが出来ない状態にあることを挙げ、また世界人権宣言は「すべて人は、国籍を持つ権利を有し、何人も、ほしいままにその国籍を奪われることはない」と規定していることを指摘し、UNHCRは一九六一年に「無国籍者の減少に関する条約」を制定、加盟国に対して「出生、人種、居住などを理由にして国籍を与えないことを禁止」している 。(強調、引用者)

 また、UNHCRでは無国籍者を以下のように規定している。

無国籍者とは、いかなる国からも国民として承認されていない人々のことである。世界では数百万の人びとが、事実上、この法的に宙ぶらりんな状態に追いやられている。彼らはこのことで、国や国際間の法的な保護や、教育や健康といった基本的な権利を、最小限にしか享受できていない 。(強調、引用者)

 実は、無国籍者保護のための条約は二つとも評判が悪く、二〇〇五年現在、一九五四年の条約は五八ヶ国、一九六一年のそれは三十ヶ国しか加盟していない 。(日本はいずれも批准せず。)だが、例え加盟国が少なくとも、国際社会が無国籍者をどのような存在として捉えているかを知ることはできるだろう。傍点で強調した部分から読み取れるように、要するに、国の集合体としてのこの世界において国籍がないということは、誰からも法的にその存在を認められないということを意味する。それは恐れるべき、また避けるべき事態なのだ。彼らには、どこに立っていようと住んでいようと、そこにいる正当性(legitimacy)がない。例えば、彼らが立ち退きを命じられた場合、「不当だ!」と叫んだとしても、それを正当な訴えとして回収する法も制度もないため、どれほど声を張り上げても、その叫びは虚しく暗闇にこだまするだけである。

 近代国家はその成立と共に、国境という輪郭を定め、その中を塗りつぶす「色」を発明した。そして、「規律・訓練(ディシプリーヌ)」をあらゆる場に浸透させることによって「従順な身体」を造り出し(ミシェル・フーコー) 、国内にいる全ての人を一色に染め上げることに傾倒した。その企てが終わるや否や、今度は、無色の地を発見してはなり振り構わず自国の色を塗りたくった。こうして、世界中が「列強」によって荒々しく塗り潰される過程で、二つの世界大戦が勃発した。やがて二つ目の世界戦争が一応の終結をみると、今度は逆に、列強の色は脱色され、かつて強制的に色を塗られた地域の民衆は、色を自ら決めることができるようになった。しかし注意しなければならないのは、一度でも色と接触した地は、無色に戻れないということだ。かくして現在、世界は二百近くの色で塗りつぶされている。もちろん、二つ以上の色がせめぎあう、どっちつかずの地域は存在する。だがそこは、将来的に何色かが決定されるべき所であって、無色地帯とは呼べない。では、如何なる国からも税金を徴集されない店が立ち並ぶ、国際空港は無色だろうか。確かに国際空港には、色と色の「間」、何色でもない場所がある。だがそこは、ある国から出たり入ったりしようとする人や物が正統な色を持っているか否かを審査する空間であって、あくまでも色が前提となっている。だから、空港に留まり続ける人はいないし(空港の無色性を活かして、何色にもなることなく十六年間もド・ゴール空港に住んだ男 もいるが、彼は例外中の例外だ)、働く人も行き交う人も、何色かに染まっていなければならない。また、ほぼ全ての色が集結する国連は、それぞれの色を正統であると承認し合う国々のみに発言権がある。だから、どの色でもない人間に配慮することはあっても、彼らのための席は用意されていないのだ 。要するに、カラフルな世界地図の中に、色無き人たちが住まう場はない。カラーの世界の住民からしてみれば、何色でもない者たち、つまり無国籍者は、「いるはずのない人」なのだ。存在を確保する足場を持てなくなった彼らは、地上のみならず空にまで色がついているこの地球において、空に浮いていることすら許されず、不在者として存在せよという不可能な要求を突き付けられているのだ。

第三節 人々の不安を漠然と呼び起こすもの

 フランスの法制史研究家、ピエール・ルジャンドルは、(アリストテレスに倣い)人間を「語る種」と定義している。彼の日本への紹介者である西谷修によれば、それは人間が「ただの生き物なのではなく言語によって生を組織する生き物(‥‥)言いかえれば(‥‥)生物学的次元と言語的次元に相わたる存在」 だということだ。このことを踏まえると、人間は、二度生まれなくてはならない。つまり、一人の女性によってこの世に生み落とされた(生物学的な誕生を果たした)赤ん坊は、今度は、「社会という登録域に登記」 され、社会的に生まれ直さなければならないのだ。一度目の誕生は、例え胎児が母体外に出てくるのに長時間を要したとしても、へその緒をチョキンとやった瞬間に完了する。だが二度目の誕生――社会への参入――は、一度目のそれと同じように一瞬で済むものではなく、あるプロセスを経ることで可能になる。それぞれの文化には、宗教や歴史、時代的背景などによって多種多様な社会への参入モードがあるが、ルジャンドルはこれらのうち、「いま世界化している西洋的なヴァージョン」の研究を通じて、「どの文化にも共通する『人間の再生産』の要請とそれに対応するメカニズム」 を明らかにする。以下に、「語る種」としての人間が生まれる様子を見てみよう。
 生まれたばかりの赤ん坊にとって、母と自分を区別することは不可能である。この意味で、母と子は密着状態にあるが、この癒着した関係に割って入るのが、子でも母でもない第三者としての〈父〉である。ここで気をつけなくてはならないのは、〈父〉が、必ずしも「遺伝学的な男性の親」 を意味するのではないという点だ。そうではなく〈父〉とは、子を名付け、子にとって最初の線分あるいは差異――「お前はその名で呼ばれるべき者であって、母ではない」――をもたらす、「分離の機能を担う者」 のことである。〈父〉はいわば、新生児の不分明な闇の世界に差し込む「言語の光の一筋」 であり、子は、この光を頼りにしてことばの世界への参入を開始する。もう少し具体的に言えば、赤ん坊は「周囲で話されることばにしだいに声を同調させ、やがてことばの秩序のなかに取り込まれるようにして入ってゆく」 のであって、自ら言語を獲得するのではない。また名前とは、まだことばを喋らぬ子が「ことばの秩序に参入するときに、それを主体として迎え入れる場所」 のことであり、この場所を予め用意されている者だけが、話す主体になれる(一人称を獲得できる)のである。
 以上が、人間化の最も原理的な構造だが、この二度目の誕生を社会の中に登記するやり方は、各文化によってそれぞれ異なる。が、「地球全体が西洋化され」 ている現代、どの国も西洋の法制度を一揃え取り入れているため、この登記は「戸籍登録という行政的形態のもとで」 担われている。具体的に言えば「出生届」――新生児を、この子を生んだ女性とその夫の子どもと定める書類――を、行政機関に提出しなければならないということだ。そしてこの書類が受理されたとき、この子どもは、社会的にその存在を承認されたことになる 。国籍に絡めて言うならば、このとき赤ん坊は、彼(女)自身が認識していようといまいと、ある国の国民として、その国が制定する法の後ろ楯がある者として、正式に認められたことになるのだ。かくして、国への登記を済ませ国籍を得た新生児は、その国に安住することが可能となる。

 ここで再び、ぽんちゃんに登場してもらおう。ぽんちゃんの両親は行方知れずだし、生まれた場所も分からないため、彼が国籍――如何なる国のであれ――を得られる可能性は非常に低い。また下手な憶測は避けたいところだが、彼の身元を知る有効な情報が口から全く出てこないということは、五歳という年齢の割には、言葉が遅れ気味だといわざるをえない。(もっとも、彼が五歳だという証拠は何もないのだが。)恐らく、ぽんちゃんはまだ、言語秩序への参入の比較的初期の段階にいる。今後、この男の子は、児童施設で遅ればせながらも、二度目の誕生のプロセスに入って行くことだろう。だが、如何なる国の司法制度にとっても、彼を前に途方に暮れる関係者、そしてわれわれにとってもぽんちゃんは、自然発生的に突如として出現した、正に「いるはずのない人」である。あらゆる系譜の外にいる者、純然たる孤児(みなしご)、無国籍者、無故郷者であるぽんちゃんを登記する方法を、現代社会は知らない。そしてこのことが、ぽんちゃんを前にしたわれわれに漠然と、不安を呼び起こすのだ。

第四節 ハイデガーの嘆き

 ぽんちゃんを始め、数百万人もいるとされる無国籍者。彼らのことを先に、「いるはずのない人」とか、「存在を確保する足場を持てなくなった」、「不在者として存在せよという不可能な要求を突き付けられている」などと記した。いささか唐突だが、人間の「無根化」を嘆いたハイデガーなら、無国籍者を、現代が生んだ「無気味な者たち」と呼ぶかもしれない。「無根化」とは、現代技術によって故郷から切り離された人間が、根を持たない、つまりは無根拠な者になってしまうことを言う。前出の西谷修は自著、『不死のワンダーランド』に於いて、ハイデガーの考えを以下のように説明している。

技術は人間社会の変化をみちびき、個的なあるいは共同的な存在様態を変えてきた。そしてその果てに、原子力工学生命科学は生と死の操作性を手中におさめ、人間の実存そのものを宙吊りにしてしまった。(‥‥)生と死が「技術」の領域に入り、人間の存在が宙に浮くと、もはや人間に固有の起源も終末もなくなり、一個の存在が生まれて死ぬという完結した物語は成り立たなくなる。個的な存在を成り立たせているアイデンティティの枠そのものが根拠を失ってしまうのだ。

「すべて本質的なこと偉大なことは人間が一つの故郷をもっていて一つの伝承に根ざしていたということからのみ生じた」と彼(引用者註:ハイデガー)は言い、故郷を失ったこと、土着性を失ったことが未曾有の危機をもたらしていると語る。人間は技術に促されて自然を挑発し、自然を開発し、そうして形成される人工的世界に迷い込み、その閉域に追放されて存在することの何たるかを忘れ尽くしている。

 このような、技術による故郷や土着性の喪失と、それに無自覚である現代人(あるいは社会)を、ハイデガーは「不気味」だと言う。故郷をもつこと――ある人間が、数(マス)に埋もれることのない「個」として他と区別され、その存在を根拠づける出自(起源)をもつこと――を人間にとって「本質的なこと偉大なこと」と位置付ける彼は、この「不気味さ」を表わすのに、unheimlich(ウンハイムリッヒ)という語を用いる。ウンハイムリッヒは確かに、「不気味な」とか「恐ろしい」を意味する形容詞なのだが、ハイデガーがこの単語を選んだのには訳がある。この語を三つに分解してみよう。un(否定の接頭辞。英語のunに相当)+heim(我が家、故郷の意 。英語のhomeに相当)+lich(形容詞を作る接尾語)。つまり、ウンハイムリッヒとは字義通りに読めば、「非−故郷的な」という意味になるのだ。非−故郷的、即ち、存在の「根」である故郷との関係を断たれること、異郷にあること、親しみ慣れない環境にあること、自分が帰属する場をもたないこと、我が家にいるような心地よさや安心を得られないこと。故郷こそが人間の安らぎの地だと考えるハイデガーにとって、それらは「不気味」以外のなにものでもないのだ。
 ぽんちゃんという存在――いや、彼は存在根拠をもたないウンハイムリッヒそのものなのだから、「不在者」と言い換えるべきだろう――を前に、ハイデガーならこんな風に嘆いてみせるかも知れない。「あぁ、この故郷無き『不在者』がどうして安らぎを得ることがあろうか。彼こそ、無根化社会の悲劇そのもの、この世が想定しうる、最も不幸な者なのだ」と――。

公開セミナー:「ミシェル・フーコー使用法 Michel Foucault, mode d'emploi」

慶應義塾大学教養研究センター主催公開セミナー「ミシェル・フーコー使用法 Michel Foucault, mode d'emploi」
日時:2006年6月20日(火)17:00〜19:00
会場:慶應義塾大学日吉キャンパス 来往舎 シンポジウムスペース(1F) ※仏語通訳つき
協力:在日フランス大使館/日仏学院


 フランス国立科学研究センター(CNRSっていうの?)の研究員で、ミシェル・フーコー・センターの所長、歴史家のフィリップ・アルティエール氏が来日したのをきっかけに開かれた公開セミナー、「ミシェル・フーコー使用法 Michel Foucault, mode d' emploi」というのに行って来た。ざっと、様子を。

 まず、アルティエールさんが「フーコーのアーカイヴ」というタイトルのお話をし、それを受け継ぐ形で、芹沢一也さん、原宏之せんせ、廣瀬純さんの若手(多分、司会の高桑和巳さんを含めた日本人は40いってないんじゃないかしら。原先生の貫禄は40過ぎのものかもしれないけれど、とにかくアルティエールさんも含め、「若い」研究者が揃った感じだった)が、現在行っている研究に於いてフーコーをどのように「利用」しているか、手の内をチラッとだけ(なんせ時間が十分ではなかった)披露した。

 司会進行かつ企画者である高桑さんはまず、フーコーの「解説」が溢れている現状に飽き飽きしており、彼の作品を「単に読むのではなく、より深く理解した上で使いまわす」(当日のプリントより)必要があると説く。フーコーのコレコレの概念はこういうことである、とか、この概念とあっちの概念はこう違うとか、そんなことやってんじゃねぇ、彼の本は「アクセスへの扉・鍵」なのだ。そして、フーコーの書物は近現代に対する闘争であり、「ガジェット」(うーん、ボードリヤールを思い出す)として消費されるようなもんではない。昨今はしかし、一口サイズにカットされたフーコーを食し「きゃっ、オイシぃ」なんてやっている連中がいる。そんなことをしていないで、フーコーの道具箱を闘争に使いまわすべきだ。そして、現在この道具箱のマニュアルの波があちらこちらから起きている。そして今日は、アルティエールさんにはこの道具箱について、そして続く三人にはいわばそのユーザーとしてお話をしてもらいます、といった具合に、「フーコーの使用法」というタイトルについての言及があった。どうも「使用法」という言葉がしっくりこないので勝手に換言してしまうと、フーコーを知識でなく武器とせよ、フーコー機械を作動させよ、とこういった感じになるんだと思う。
 それでは、本題に。結構すっ飛ばしていく。

●フィリップ・アルティエール「フーコーのアーカイヴ」
 6つのしてい(視程?)を述べる、とのことだったんだけど、4つしか書き取れなかった。
 まず第一に、フーコーのアーカイヴは生成に関わるのではない。生成論的読解、始めと終わりがあるような「作品」ではない。平行線が何本も引かれている軌道、線であって層ではない。フーコー自身もある序論で書いているように、「どう書いたか」の痕跡を残すのではなく、「読み手が戦いの中でどう活用したか?」なのだ。また、線は一度書いたら書き直さない。インタビュー起こしの作業でも、ある部分を消してそこだけ取り替えるということはせず、まっさらから書き直していた。ここには常に別の点に向かう作業があった。
 次に、フーコーのアーカイヴは「宝物」ではない。フーコーは意見を自分だけのものにして隠したりはしない。何らかの形で意見は全て発表されている。だから今からいろいろほじくり返しても、未発表の原稿なんてのは見つからない。今年フランスでは「マネーについて」という新著がでるが、これに関しても既にチュニジアのインタビューで喋っていることであって、我々は読んだことがある。最近、続々出ている「講義録」もフーコー・センターでずっと前から読むことができたし、この講義には大勢の学生が参加し、録音している。(けどやっぱり、講義録に限らず、「publish 出版」はとぉーっても有り難い。)出版されなかった原稿を探すのではなく、彼の作業の地理学を検討すれば良いのだ。
 三つめ。フーコーアーカイヴはビオグラフィー(伝記)ではない。「素顔の見えない哲学者」(ル・モンドの記事のタイトル)フーコーは、自分の個人的な生い立ちには何の価値もないと思っていた。だが「マイナー・アーカイヴ」と言えるものがある。70年代の刑務所研究の周りには、他の人の伝記的なもの、他人からの手紙、精神病者の手記などがある。例えば、ピエール・リヴィエール、エルクリーヌ・バルバン(女から男になった人)。
 四つめ。聖骸布は含まれていない。フーコーは原稿へのフェティシズムがないので、下書きには価値がないと考えていた。よって、フーコーセンターにも「テキストの展示ケース」みたいなものはない。『監視と処罰(監獄の誕生)』に載っているメモや絵、これぞがアーカイヴであって、神聖化されることは望まなかった。アーカイヴのパンテオン化とは無縁で、あくまでも「ある読者のアーカイヴ」という位置付けである。
 下書きは取っていなかったけれど、図書館での膨大なメモはとってある。図書館でフーコーは、使えそうな語を全て書き写すという、書記みたいな仕事をしていた。メモは束ねてテーマをつけてあって、30年間分(!!!!!)のファイルが保存されている。(20テラくらい軽くありそう。)
 最後に、フーコー・ユーザーがすべきことは、メスを持って事件や芸術を解剖することである。

芹沢一也フーコー、方法と介入」
 芹沢さんは、日本の近現代における、精神医学と刑事司法のコラボレーションによる犯罪者を取り囲む言説・扱いの変化、そして現在の問題点などを解説してくれた。面白かったんだけど、この発表内容は既に著作になっているのではないかと思われるので、特にここには書かない。(それにしても、犯罪について語るとき、ルジャンドルという起爆剤がないとどこか物足りないのはあたしだけかしら。少年犯罪や凶悪犯罪が統計的に減っているという事実を持ち出して、「マスコミが煽っているだけで、今の日本はそんなに危険じゃないよ」と主張するのは全然かまわないんだけど、「法・父・言語」の権威失墜という点はやっぱり見逃せない。)

原宏之ディスクール分析の現在---発話行為と言説編成」「言語態分析へ:言説編成と発話行為の間」
 シンポジウムの場で発表者が突然、「諸君! 我々は‥‥」といきなり演説口調で叫びだすっていうことはないし、もしそんなことがあれば、「不適切」だと感じる。なぜならシンポジウムという「枠組み」があるから。では、この「枠組み」はどう出来(形成され)るのか?
 1960年代後半、フーコーは『知の考古学』と『言葉と物』において、科学史ディスクールについて取り組んだ。70年代になると、「ディスクール分析」(アー・デー adでいいのかな?)というのがフーコーとは離れたところからでてくる。これは、ミシェル・ペシューの『ディスクールの自動分析』(1969年)が源流となっていて、情報科学的に言葉を集めて計量分析をしようというもの。一方フーコーのいう「アーカイヴ(アルシーヴ?)」は、発話内容の他に、実際には語られなかった発話内容の両方を扱う。つまり「なぜ、その言葉が選ばれたのか?」、なぜ、「なぜ」であって他の語ではなかったのか、ペシューらの分析に欠けているディスクールの潜勢力をも扱っている。「誰が、何を」言ったのかを情報として分析するのではなく、語った主体が言説編成あるいは社会のどの位置にいるのか、を問題にする。これを「非人称の分析」と呼んでいる。これに対して、発話行為の分析というのがある。(これの説明がよく分からなかった)「喉が渇いた」というのは、「今」に関わること、一方「彼女は抑鬱だ」というのは何週間か、何年かに関わることで、発話そのものに含まれる行為の分析をする。現在のアーデーは、発話行為の分析に傾きつつあるが、原さんの問いは発話行為と言説編成の分析をどう結びつけるか、というところなのだそうだ。具体的な例として、敗戦後、部下を殺させた隊長かなんかについて、加害者かなんかから証言を取ると言うドキュメンタリーの会話分析を見せてくれた。発せられた言葉だけでなく、どの方向を見ていたかとか、犬の吠える声とか、なんだかいろんな情報を記号化して分析するんだとか。こうした会話分析によって、順番や意味論でない言葉の分析から、意味が見えてくる、とのこと。(根気がいりそう! オースティンとかも関わってくるのかなー?)

廣瀬純「映画を考えるためのM.フーコー使用法」
 映画のみならず、南米の研究もしている。この二つがどう結びつくのか、一言でいえば、それは自分が「左翼の知識人」だから。(自らこう名乗る人ってちょっと素敵かも!)
 南米ではたくさん面白いことが起きているのに、民族運動のアクチュアリティ見たいのに関する日本語のテクストが全然ない。日本語の言語空間の痛ましい状態。スペイン語をやっている人はたくさんいるのに、なんでアカデミックなサークルとかが出てこないのか? 日本のメディアの、海外通信社の記事をコピペするだけという、表面的な状況に黙っているのだろうか? こんなんならボクがやる、これは左翼の知識人としての義務だ、ということで南米に注目している。実はこの理由は重要でないわけではなくて、南米の動きの中に映画的パースペクトを見ている。(ここんとこ、意味が繋がらないよー。)第二の理由は、日本のメディアが単にコピペだけしているのみならず、そもそも、通信社の記事、情報が痛みのない他愛のないものであるから。「痛みのない他愛のない」情報や記事、テクストといったものを説明するためにフーコーを用いる。あるいは、フーコーによってこの問題系に辿りつかされたのかもしれない。
 『知の考古学』より引用。「ディスクールが記号でできているのは勿論のことだが、やっているのは物事の指示以上のこと。言語には還元し得ないものなのだ。」世界を駆け巡る情報がとんでもないと言っているのは、この「以上のこと」を説明しようとしていないから。左翼と呼ばれ様が右翼と呼ばれ様が、いずれにせよどんな新聞も大(マス・)メディアも、ディスクールがやるという「以上」だとか「余剰」を出現させるような描写をしていない。
 以下、大雑把に分かったことだけまとめる。南米は近年「自律性 アウトノミー」を熱望している。ボリビア、アルゼンチン、メキシコ、ブラジルetc...新たな社会運動が起こり、「プログレシスタ 進歩派」政権が誕生している。ところで何の自律性が問題になっているのだろうか? 少なくとも三つある。合衆国に対する地域的独立、国民的形式、国民国家の自律性(例えばグローバル化した資本に対して)、資本性経済や代表制政治に対する共同体、コミューン(バリオ:廣瀬さんのHPで読める文章によると「南米の都市下層」のことらしい)型形式のアウトノミア。
 こうした南米の動きを、「地域的・国家的自立は進歩派の指導者/バリオ型が民衆」と分けてしまいそうだが、こう考えるのは間違いである。本当の分配の軸は、政権と民衆の間でなく、ディスクール的なものと非ディスクール的なものの間にある。軸を引き直して考えると「地域的統合がディスクール的な部分/バリオ形式は非ディスクール的なところ」でそれぞれ問題となる。(再び次との関連がつかめず、、、)(これが?)運動そのもののうちにパラドクシカルな状態を生んでいる。例えば運動者自身が「国家の自律を!」とはなしながら、自主管理のプロジェクトを進めている。例えばボリビアでは水の民営化に反対して「共同管理を」と言っている人たちが一方で、ガスの国有化を訴えたりしている。(なんかこの例え、よく分からない。)ディスクール的/非ディスクール的の間に生じる齟齬を‥‥。(分からんかった。が、とにかく)齟齬を描写すべきなのに、ル・モンドもイル・マニフェストも、進歩派政権の誕生は、民衆運動から出て来た現象だと書くのを厭わない。これはまるで、オフ(画面外)の声が物の見方、イメージの決定になるようなトーキー映画を見ているかのようだ。齟齬を描写しなくてはならないし、これこそが我々を思考させる。(こういった点で)ラテンアメリカの運動はアウトノミーを知る良い機会なのだ。そして、映画と南米には「齟齬を描写する」という点が共通しているのだ。(廣瀬さんの発表は「ディスクール」って概念を分かっているという前提があるようで、少々分かりにくかったな。)

 仮にフーコーというお題を出されなくとも、みなさん自然に自分の研究にフーコーを部品として取り入れているだろうな、とそんな印象だった。とりあえず、内容だけざっとまとめてみました。