イスラム社会と西洋社会の軋轢の源泉

 「世界史B」という授業の課題レポートの一つに少々手を加えてみた。手を加えていたら細かいミスをいくつか発見して、結構悔しい。出す前にちゃんとチェックすればよかったなぁ。参考資料は2004年度後期「世界史B」の授業ノート。どうして「イスラム」vs「西洋」という対立構造が生じるのか、その理由が分ってきた気がする。



 アメリカや西欧諸国、そして日本の人びとは、イスラム文化に慣れ親しむ機会があまりない。そしてそれ故に、われわれにとっての「イスラム」のイメージは、完全にメディアに支配されてしまっている。例えば、「イスラム教徒」から熱烈な支持を受けているとされる、オサマ・ビン・ラディンという「イスラム教徒」の男が、世界の「イスラム教徒」や支持者に向かって「欧米や日本をテロ攻撃しろ」だとか「アメリカ人を殺せ」だとかいう過激なメッセージを発する映像を見ると、多くの人びとは、「あぁどうしよう! これで世界中の“イスラム教徒”がわれわれを敵だと認識してしまう! きっと我が国でもテロが起きるに違いない! なんて恐ろしいことだ! 」と思い込んでしまう。

 9.11テロの実行犯が「イスラム教徒」であったと言うこと、またビン・ラディンがその首謀者だということが人びとに事実であるとして認識されるようになってからは、この手の映像は「イスラム教」を知らない人びとにとっては、まるで恐怖の死刑宣告だ。というよりは、こういった映像がメディアによって流され、注目を浴びるようになったのは9.11以降であったと言う方が適切かもしれない。9.11テロの後の、メディアによる印象操作とでも呼びたくなるような偏向報道によって、われわれの内にはすっかり、「イスラム教=危険、テロ集団」とのイメージが染み付いてしまっている。テロ以前は現実的な恐怖を抱く程のことは無かったため、そのようなイメージがあったとしても、今ほど強烈なものではなかったと考えられる。だが、9.11のテロを伝えるニュースで、テロの発生を知った「中東の人びと」が喜ぶ映像が意図的に流されるなど、「イスラム」や「中東」というキーワードにわれわれが何らかの先入観を抱いていたことは否めない。後にテロが起きた時間帯にその地域は夜であったことなどから、9.11テロとは全く関係のない映像だったということが発覚したが、後からそのようなことが分かったとしても、流してしまったものはもう遅い。この映像は多くの人びとに、「中東」ないしは「イスラム」の人びとに対する不信感や憎しみの感情を生じさせてしまったのではないだろうか。染みをつけるのは簡単だが、一度ついた染みを抜くのは簡単な作業ではない。9.11テロ以降、「ビン・ラディン」や「フセイン」といったキーワードに集約されてしまった、「西洋社会」の人びとの幻想に過ぎない「イスラム教」に対する悪しきイメージは強まる一方である。

 西洋の政治システムを導入した国々の人びとが抱く「イスラム教」に対する不信感は、一重に、イスラムに対する無知によるものだ。欧米――とその色に染まった――諸国は、国家の政治的決定が宗教的思想と分たれているとする、「政教分離」という考え方が、あたかも普遍的であり、また最も優れた制度であるかのようにふるまう。それ故、それ以外の考え方をしばしば、「野蛮」だとか「非進歩的」などといったネガティブな言葉で表現して来た。現在でも、そのようなあからさまな言い方こそ避けているものの、イスラム教を国教と位置付ける国々に対する負のイメージそのものはあまり変わっていない。最近では、トルコのEU加盟を巡る一連の駆け引きが、西欧諸国とイスラム国家との間に埋め尽くし難い裂け目があることを露呈させている。(もっとも、裂け目を完全に埋めることができなくとも、橋を渡すことは可能だろう。)

 西洋化された社会とイスラム社会の間にある考え方の根本的な違いとは、聖俗一致と分離の違いである。キリスト教が浸透している西洋社会には世俗世界のトップとして国王や皇帝、領主などを掲げる一方、宗教的な次元にはローマ教皇という地位を設けて来た。そして聖俗それぞれの権力は、領民を支配する際に役割分担を行って来た。つまり、教会がローマ教皇に従い、清く正しく生きるように人びとを導く一方で、世俗権力へはその正当性を付与する。このような言い方が適切であるかどうか自信はないが、教会は道徳、世俗権力は政治といったところであろうか。教会から御墨付きを得た世俗権力は、権力の暴力的な部分ともいえる徴税や戦争などを引き受ける。勿論、二つの権力は互いに拮抗しあってきたが、いずれにせよこの聖俗での権力の分離は、神の教えと日常生活における一般的な決まりごとを完全に一致させることを説く律法主義とは大きく異なる。イスラム教やユダヤ教はこの律法主義を説く訳だが、彼等にとって日常生活を送るということはそのまま、神の規範に従うことを意味し、言ってみれば聖なる世界も俗なる世界も存在しない。キリスト教において完全に分たれている二つの世界は、律法主義的な宗教からしてみれば存在し得ないのだ。


 例えば、キリスト教の聖書に「右の頬を叩かれたら左の頬を出しなさい」とあっても、それはあくまでも聖なるお言葉、ないしは道徳であり、世俗の世界の法律にその言葉がそのまま書き込まれることはない。人を「7の70倍」許していたら日常生活など成り立たちようがない。だが、イスラム教ではコーランに記されていることがそのまま法律としても使われる。ただし、イスラム法は西洋的な法律とは全く異なる。西洋において法律は、合法か違法かの区別しかない。オンかオフ、インかアウト、白か黒のどちらかでしかない。だが、イスラム教においては、「義務」(全員に課されているわけではない。例えば巡礼はカネのある人がやる)、「好ましい」(義務でないがやると好ましい)、「どちらでもよい」、「好ましくない」、「禁止されたこと」(例えば、酒やブタは禁止)の5つのカテゴリーがある。さらに4つの法学派(シャフィイー派、ハナフィー派、ハンバル派、マーリク派)があり、各学派は、コーラン、ハギース(ムハンマドの記録)、キャース、ライイ(個人的判断)、アーダ(地方の慣習)などに則して、日常生活の様々な行動を先の5つのカテゴリーに振り分けている。コーランを最高の準拠とする点では一致するものの、一言に「イスラム教」といっても、各派によって何を罪とみなすかは異なるし、同じ罪でも刑の重さがそれぞれ違ったりもする。キリスト教にもカトリックプロテスタントを始め各種の派が存在するが、いずれにせよ、イスラム教と違い、あくまでも世俗世界からは分離されている。そのため、「派によってそれぞれ異なる」と同じような表現をすることはできても、「異なる」の意味合いは全く違うのだ。

 近年、オサマ・ビン・ラディンという男があたかも、イスラム教徒全員に強大な影響力を持つかのような印象がまかり通っているが、彼が唱える「ジハード」は実はイスラム教徒にしてみればジハードではない。イスラムの法学者であるムフティがファトワと呼ばれる宣言を出さない限りジハードは成立しないのだ。また、殉教とはムフティによって宣言されたジハードにおいて死亡することを意味するのであり、ジハードでない限り、イスラム教徒が命を投げ打ってまで戦うなどということはあり得ない。そしてなによりも、オサマ・ビン・ラディンはムフティでない。そのため、「過激派」と呼ばれるイスラム教徒以外の者には何の影響力もないのだ。(もっとも、われわれがイスラムへの圧力を高めていけばいく程、ビン・ラディンへ共感を示す者が増えてゆく可能性があることは指摘しておかねばならないが。)イスラム教徒にとって、彼がどのくらい狂信的に見えるかという感覚は実際のところは私には分かり得ないが、想像するに、われわれがオウム真理教の教祖、麻原に「アメリカ人をポアしろ」と言われても「アホか?」と思うようなものなのではないだろうか。

 西洋社会が圧倒的な優位に立ち、「進歩的」「民主的」の名にそぐわない国々に大ナタを振るう現在の国際社会において、西洋社会の側に位置するわれわれはまず、西洋的価値観とイスラム的価値観の根本的な違いを知る必要があるのではないだろうか。イラク戦争――現在のイラクの混乱を「戦争」と呼ばずして他になんと呼ぶのだろうか。アメリカによる一方的な戦闘終結宣言を鵜呑みにしてはならないだろう――を逸早く終結させ、イスラムに関する様々な誤解や偏見を克服してゆくためには、まず、われわれがイスラムに対する無知を克服してゆかねばならないだろう。