イスラム・フォビア克服のために

 世界史のレポートを改訂。

 イスラム教にキリスト教ユダヤ教。「同じ一つの神」を信じるとされる、これら三つの宗教の関係と、成立の系譜はいかなるものなのだろうか。
 まず、成立した順番だが、ユダヤ教はこの中で最も古い宗教で、その成立は紀元前6世紀に遡る。次いで、ユダヤ教の改革者として登場したイエスという男が、自分こそが、神がいつの日かこの世に送りだすとイスラエルの民に約束した、救世主(メシア)であると主張し、キリスト教の種をこの世に蒔く。そして彼の死後およそ百年経つと(紀元後1世紀)、イエスを救世主であると見なす弟子達によって育まれたこの種は、キリスト教という一つの宗教となって花開く。成立当初からローマ帝国で迫害の対象となったこの宗教は、紀元後4世紀にもなると、ローマ帝国の国教という地位を手に入れることになる。この頃になると、キリスト教はエジプトを始め、アラビア半島にまで広がり、7世紀にイスラム教が登場するまで、この地域を席巻していた。
 ところで、キリスト教はイエスを神が約束したメシアだと考えるたえめ、イエス以前に交わされた約束を「旧い約束」即ち「旧約」と呼び、イエスによってもたらされた「新しい約束」を「新約」と呼ぶ。しかし、ユダヤ教からしてみれば、約束はまだ果たされていないのだから、旧も新もくそもない。世界で最も売れている書物であるキリスト教聖典、聖書は「旧約」と「新約」からなっているが、ユダヤ教にしてみれば、これはあまり歓迎すべき事態ではないだろう。ただし、ユダヤ教はイエスを、偉大な預言者の一人と見なしている。
 さて、7世紀になると、イスラム教が破竹の勢いでアラビア半島を覆い始める。始祖であるムハンマドという男は、生まれ年は不明だが、610年頃から632年に生涯を終えるまでの短い間に、イスラム教を築き上げた。彼はメッカで活躍した商人だが、610年頃から山に籠るようになった。始めは身体が震えたが、そのうち、美しい詩を口にするようになる。ムハンマド自身はこの言葉が一体なんなのか、把握することができなかったが、妻のハディージャはこれを神の言葉であると指摘した。こうして始祖をムハンマド、最初の弟子をハディージャとしてイスラム教が始動する。その後メッカで主に若者を惹き付けるが、彼の人気を快く思わなかった同世代の人びとに迫害されるようになった。そんなさなか、当時混乱を極めていたメディナという都市から、人びとをまとめあげて欲しいとの依頼を受け、ムハンマドは僅かばかりの信徒を連れて622年、メディナへと向かう。この出来事をヒジュラ(聖遷)と呼ぶが、この年を元年とするのが、イスラムの年の数え方であるヒジュラ暦である。その後紆余曲折を経てイスラム教は信徒を増やしてゆき、西暦630年にもなると、一度は追い出されたメッカに無血入城する程までの勢力になっていた。
 ところで、ムハンマドが洞窟に籠っていた時に彼の前に表れたのは大天使ジブリール、即ちガブリエルであるし、この大天使を遣わして啓示を下したのは、キリスト教ユダヤ教が信じる神である。だが、同じ神を崇めるとはいうものの、先行する二つの唯一神教とは、その形式と実践に大きな差が見られるため、ただ単に「同じ神を信じるのだから争うべきでは無い、仲良くすべきだ」と言ってみたところで、(911テロ以降特に顕著になってきている)イスラム世界と西欧世界の対立を解消することはできないだろう。重要なのは、ユダヤ教に続いてキリスト教が成立したように、キリスト教成立後にも、同じ神から啓示を受けたとして新たな宗教が成立したという、唯一絶対の神の啓示を巡る系譜と、最後に成立したが故に、軽視されがちなイスラム教について、多少なりとも知ることであろう。
 これらの宗教が共有するのは何も神だけではない。イスラム教の聖典であるコーランは、アブラハムやモーゼ、イエスといった人たちを預言者と位置付けているし、啓示や最後の審判、救済といった基本となる観念をも共有している。また、いずれの宗教も「エルサレムを、それぞれの歴史にとって記念碑的な意味をもった聖地と見なしている。」(注p.28)ただ、最後に成立したイスラム教は、ムハンマドを最後で最大の預言者であり、それまでの神の啓示に「本質的、包括的な訂正」(注p.28)を加えたのだと考える。イスラム教徒にとってムハンマドは、最新の神の言葉を受けた上、それまでの啓示を総括してくれた預言者だということになる。

 三つの唯一神教は現在、あたかも神を奪い合うかのような対立関係に陥っている。また、律法主義に貫かれたイスラム教やユダヤ教と、聖俗分離の原則に存在意義を見い出すキリスト教の間には、大きな溝があるのかも知れない。しかし、我々はここで、いささか唐突かもしれないが、「パレスチナ問題は宗教的問題ではなく、政治的問題である」という、重信メイの指摘に耳を傾けてみる必要があるだろう。三つの宗教は、「セム族の一神教」という一言で言い表わすことさえできる。対立しているのは宗教そのものではない。ある集団――国家、政府、民族、宗教団体など――が特定の主張を唯一無二、絶対の正義であり善であるとする時、そして、そのような集団に人びとが強固に、また排他的に同一化しようとする時、つまりは国民国家の原則が世界中を網羅する時、そのような時にこそ、解消しようのない対立が生じるのだ。

 冷戦なき後、新たなる外敵を欲するアメリカや、それに追従する国々――言うまでもなく、日本を含まねばならない――は今、幻想としてしか存在しない、彼らだけの〈イスラム教〉をつくり出し、我々にそのイメージを消費するよう、様々な手法で訴えてくる。そんな状況を前に我々にできることがあるとすれば、それは、イスラム(教)の実像を少しでも知ることで、固定化されつつあるイメージないしは記号としての〈イスラム教〉を解体すること位なものだろう。
 だが間違っても、妙な罪悪感から、「イスラムは寛容で平和を愛する宗教です」といったやたら甘ったるい言説を、盲目的に信じる必要はない。何せ、「寛容の宗教」の名の下に、ろくな準備期間も設けずに、性同一性障害と診断された人びとに性転換手術を施しまくるという、乱暴としか云いようのない制度を持った国もあるのだから。ともあれ、良心的でありたいと願う人は、「イスラム教徒だからって怪しんじゃいけない。彼らは本当は、寛容で平和を愛する人なんだ。危ないのは一部の過激派だけだ」と引きつった笑顔で主張しながらも、実際は、「国際テロ組織アル・カイーダ」の首領、オサマ・ビン・ラディンという髭男が“聖戦”を呼び掛けている映像を観て、「あぁ、どうしよう。日本もいつか奴らにやられてしまう!」と脅えていたりするのではないだろうか。だが、あまり怖がる必要はない。以前既に述べている*1ので詳細は省くが、あれは、例えて言うなれば、麻原という男に「メリケンをポアしろ」と言われるようなものなのだ。我々だったら恐らく、「アホか?」の一言で済ませるのが関の山だろう。だが、それで終わらなかったオウム真理教の一部の信者がテロを実行した。
 果たしてこれが正しい例えなのかどうかは分からないが、そのようなものと想像してみれば、オサマ・ビン・ラディンの言動を一々恐れる必要はないと言える。また最近は、「アル・カイーダ」なるテロ組織など存在せず、ビン・ラディンは全体を統括する人物などではないという意見も出て来ている。それによると、「国際的な地下ネットワーク」など形成されておらず、小集団が提示する攻撃案を彼が気に入ると、実行に移すための資金を援助していた程度だという。無論、その資金が多くの命を奪った可能性はあるが、俗に言われているような組織化されたテロ集団というのは幻想に過ぎないというのだ。*2
 勿論、一部の過激派がビン・ラディンに共鳴し、実際にテロを実行するということもあり得るのかも知れない。また、過激派でなくとも、イスラムを受け入れようとしない社会に生きるような人びとが、彼の主張に心酔し、徐々に過激派と呼べるような集団を形成して行くことも十分考えられる。だが、無数の過激派を増殖させるのは、イスラムの教えそのものというよりは、歴史・政治的要因であり、また、我々のイスラムに対する妄想的恐怖心や悪質な偽善的同情心だ。

 7月7日、2012年の夏季オリンピック開催が決まり喜びに沸き立ったロンドンを、同時テロが襲った。その後、驚くべき早さで容疑者が確認され、実行犯とされる4人組の内3人が、「リュックを背負ったパキスタン系イギリス人男性」だったことが判明した。このことを知ったあるロンドン市民は、ニュース番組の街頭インタビューに応えて、「地下鉄に乗ると思わず、リュックをしょったイスラム系の人がいないか探してしまう」と言っていた。彼女自身、このような人種差別的な発言をする自分に素直に驚き、また罪悪感を拭えない様子であったが、「安全のため、仕方がない」と割り切らざるを得ないのが現状のようだ。
 しかしながら、仮に、イギリスにおける〈イスラム系〉の多くがパキスタン系だというのは暗黙の了解ということにしたとしても、なんて短絡的なんだろうとびっくりしてしまった。しかし、7日のテロの二週間後に起きたテロ未遂(?)の直後、「リュックをしょった、挙動不審のイスラム系男性」が警察官に取り囲まれ、やじ馬――その中にはテレビカメラという、潜在的に無数の視線を持つ「目」もあった――が見守るなか、逮捕された。後にテロとは何の関係もないことが判明したが、一旦誰かに「怪しいイスラム系」と認識されたことで、ここまでの大騒ぎになってしまった。恐らくロンドンでは、〈リュックを背負ったイスラム系男性〉という一つの記号が形成されつつあるのだろう。そしてその記号は言うまでもなく、爆弾の存在とテロの発生を意味する。
 だが、ブラジルからやって来たジェアン・シャルレス・デメネゼスという男性が、テロの実行犯だと断定され問答無用で射殺されるという事件は、ロンドンの警察官の疑いの目が、〈イスラム系〉などではなく、〈非-アングロサクソン〉に向けられていることを物語っているように感じられてならない。どういう訳か、私服警官に爆弾を身体に巻き付けていると思われたこの男性は、脳天をぶち抜かれ即死。そして、テロリストを映し出すという重要な役割を負った監視カメラ様は、この時に限ってお休み中だったと発表された。

 勿論、狂信的な〈イスラム教徒〉によるテロの恐怖に脅えるロンドン市民が、〈イスラム系〉という記号を拠り所とすることを非難することなど決してできない。(もっとも、街を行き交う多くの〈イスラム系〉の人びともまたロンドン市民であるので、このような言い方は差別的であると言わざるを得ないのだが…。)
 例えば東京、もしくは日本の人びとの間にだって、オウム真理教(徒)フォビアは未だに確固として存在する。〈オウム信者〉だって我々と同じ人間だ、などと言おうものなら、袋だたきにあってしまうだろう。現に、オウム真理教の施設内や信者たち、そして広報部長だった荒木を黙々と追ったドキュメンタリー映画『A』と『A2』

「A」 マスコミが報道しなかったオウムの素顔 (角川文庫)

「A」 マスコミが報道しなかったオウムの素顔 (角川文庫)

A [DVD]

A [DVD]

A2

A2

A2 [DVD]

A2 [DVD]

の監督である森達也は、徹底的な反オウムで有名なあるジャーナリストに、ゴミを見るかのような視線をあてられたことがあると話していた。だが、映画を観る限り森は、反オウムでも親オウムでも何でも無い。ただ単に、マスコミの「狂信集団」という一義的なオウムの描き方に対し、別のまなざしが存在し得ることを証明してみせただけだ。そして、『A』という作品を観た(もしくは書籍版を読んだ)人の多くは、オウムに対する「狂信集団」というイメージを解体せざるを得ないことに気付かされるだろう。
 『A』と同じようにして、と言う訳ではないが、現在出来上がりつつあるであろう、ロンドン(やイギリス)における〈イスラム系〉に対する硬直したまなざしをほぐすきっかけとして、ある映画を紹介し、この文章を終わりへと導きたい。

 その映画とは、『ぼくの国、パパの国』(Damien O'Donnell ダミアン・オドネル監督、1999年、原題:"EAST IS EAST")

ぼくの国、パパの国 [DVD]

ぼくの国、パパの国 [DVD]

だ。この作品は、70年代のマンチェスターの労働者街で、フィッシュ&チップス店を営むパキスタン出身の敬虔なムスリム男性とイギリス生まれの白人女性の夫婦に、子ども7人という大家族の騒がしい日常を、コメディタッチで描く。
 ムスリムとしての誇り高き父は、一家の絶対的な長として振る舞い、子どもたちをイスラム教徒として育てようとする。息子たちには割礼を施すし、年頃になれば当然のようにして、自分が決めて来た相手と有無を言わさず結婚させようとする。妻は夫が面子を失わない程度に彼を支えながらも、子どもたちが豚肉を口にすることを黙認したりと、微妙な調整役となっている。
 だがどんなに父親がイスラムの決まりを押し付けても、子どもたちは所詮、イギリス生まれのイギリス育ち。父の意向なんてお構い無しに自由奔放に恋愛もするし、平気でイスラムの掟を破ってみせる。いや恐らく、彼らが破っているのはイスラムのと言うよりは、偏屈親父の勝手気ままな掟なのだろう。そして父親への反抗心ゆえなのか、子どもたちのイスラム法破りは、思わず吹き出さずにはいられない程過激だ。(クライマックスには究極の形で子どもの反抗心が爆発し、とんでもないことになる。)
 さらにこの映画は、長年連れ添った夫婦の間にも、未だに感覚のズレがあることを露呈させて行く。もらっても全く嬉しくない贈り物を見て言葉を失う妻と、これ以上素敵なプレゼントは他にあり得ない、とでも言わんばかりに少年化して踊りだしそうな夫。でこぼこ夫婦にも程がある、と言いたくなるようなこのギャップ。
 厳格なムスリムとしての父の頑固さは、子どもたちにとっては迷惑極まりなくとも、彼からすれば当然の義務であり、彼なりの愛情の注ぎ方なのだろう。もう少し、子どもたちが育って来た文化に譲歩すればいいのに、と思わずにはいられないが、父親の頑の張り方はどこか滑稽で、可愛らしくさえ感じられ、決して憎めない。
 911テロ、ましてやロンドンで同時テロが起きるとは予想だにしなかった、1999年に製作されたこともあるためか、この映画は、強いメッセージ性が前面に押し出されている訳でもなく、妙な使命感も背負わされていない。世代間のギャップに加え、相容れそうもない二つの文化の違いが家族を引き裂いて行くという、悲惨で暗くなりそうな物語が、ユーモアで包みこまれ、しっとりとしたコメディーになっている。移民差別やジェネレーション・ギャップ、文化的な違いなどから眼を反らさず、いやむしろしっかりと見据えるからこそ、この家族の間には時に激しい争いが起きる。しかし彼らの争いは、家族として、また地域の一員として、互いをよく知らないまま憎み合ったりすることなく、上手くやって行くコツやバランスを得て行く学習でもあったのだろう。映画は、仄かに希望の匂いを漂わせながら、幕を閉じる。
 自らも二世であるという原作者の自伝的要素が含まれている、このフィクションとしての家族の生活は、多かれ少なかれ、イギリスにおける移民の断片を映し出しているのではないだろうか。この映画はきっと、イギリスの街を歩く〈イスラム系〉の人びとに向けられる疑いの眼に差す、良き目薬になることだろう。

*1:http://d.hatena.ne.jp/schaumlos/20050202

*2:2005年6月5日にBS1で放映された、BBC制作のドキュメンタリー『「テロとの戦い」の真相』による。原題は「悪夢の力」(The Power of Nightmares)http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/550に詳しいことあり。