"Happy Holidays!"の彼方に

2004年度に書いたレポート、だろう。旬だから載せてみた。


 "Happy Holidays!" これが、昨年(2004)末にアメリカ合衆国大統領であるG.W.ブッシュが口にした国民への挨拶だった。そう、合衆国憲法修正第一条で定められた政教分離の原則と信教の自由を重んじるアメリカの大統領たる者、クリスマスという特定の宗教のお祭りを祝う“Merry Christmas!モと言う言葉を、全国民に向けて発する訳にはいかないのだ。言うまでもなく、クリスマスは「キリストの生誕」を祝うお祭りで、キリスト教において最も重要な行事であるが、アメリカ国民の内、キリスト教徒の占める割合は、8割弱でしかない。大統領が率先してキリスト教のお祭りを祝うだなんて、同じアメリカ国民たる残り2割強の非-キリスト教徒に対する配慮が足りない、と言う訳だ。一体いつ頃からアメリカにおいて、"Merry Christmas"という言葉が弾圧されるようになって来ているのか、詳しいところは分からない。しかし少なくとも、昨年末から突如として始まった現象ではないようで、クリスマスを巡る論争をアメリカでは「12月のジレンマ」と呼ぶそうだ。一体今、アメリカでどんな事態が起きているのだろうか。
 読売新聞が伝えるところによると、「サンタクロースや「ジングルベル・ロック」はOKだが、イエス・キリスト、「きよしこの夜」はダメ」。「オフィスで開くのは「クリスマスパーティー」ではなく「年末パーティー」。「クリスマス休暇」ではなく「冬休み」」といった具合に、「クリスマス」という言葉を使わずに、クリスマス起因の行事を表現しなくてはならないという。また、クリスマスツリーも宗教的シンボルの一つであるとして、フロリダ州パスコ郡では条例によって、公共の場にツリーを飾ることを禁じてさえいるそうだ。もっと奇妙な条例として、カンザス州ウィチタ市は、クリスマスツリーを「コミュニティーツリーと言い換えるべきだ」とする条例を制定したという。
 もっとも、アメリカという国におけるクリスマスは、ヨーロッパの「伝統的なクリスマス」とは一線を画しており、キリスト教的な意味合いはヨーロッパのそれと比べると薄いといわれている。もちろん、宗教的な側面が完全に失われているとはいいがたいのだろうが、〈サンタクロース〉という「発明品」と〈クリスマス〉という〈記号〉をセットにすることで成立した〈アメリカ流クリスマス〉が〈記号化〉、すなわちキリストの生誕を祝うという「本来の目的」を削り取るという企てに成功している事実は否めない。キリスト教徒が人口の1割にも満たない日本という国に、〈クリスマス〉という行事が定着するには〈サンタクロース〉という無敵のキャラクターによって、クリスマスが〈記号化〉していなければならなかったはずだ。
 多くの日本人を始めとした、アメリカ式クリスマスが浸透した国の人びと、もしくは多くのアメリカ人、はもはや、「サンタクロース無きクリスマス」などというものは想像することさえできないのではないだろうか。だが、今ではすっかり「正統派サンタクロース」の名をほしいままにしている、「白髭の腹の突き出たおじいさん」と「赤い衣装」、「プレゼントを入れた大きな白い袋」それに「トナカイ」という〈記号〉によって包囲された〈サンタクロース〉というキャラクターは、その起源たる聖ニコラウスこそヨーロッパ大陸出身だが、アメリカにおいて、ヨーロッパ各国の神話や伝統が混ぜこぜになり、挙げ句の果てにコカコーラの宣伝に起用されたことで、その不動の地位を手にすることとなったという経歴を持っている。クリスマスになると「良い子」にプレゼントを持って来てくれる、素敵なおじいさんたる〈サンタクロース〉は、アメリカで正に「発明」された、〈クリスマス〉という〈記号〉を背負わされた〈記号〉なのである。
 よく、「日本人はキリスト教とは何の関係もないくせに、クリスマスだけは大騒ぎする。クリスマスがなぜ目出たいかも理解せずにあんな風に、日本流にめちゃくちゃに祝うのは止めてほしい。せめて、なぜ目出たいのか、何を祝っているのかぐらいはちゃんと理解すべきだ」というような意見を耳にする。「本物のクリスマス」が何たるかを知る人びとは、完全に記号と化した、商業主義丸出しの非キリスト教的な日本のクリスマスを批判する。だが、クリスマスは〈記号〉と化したことによって正に、非キリスト教国に「輸出」することが可能になり、これほどまでの威光を非キリスト教者にまで放つようになったのだ。サンタクロースとクリスマスのイメージが重なり合ったその時から、クリスマスの〈記号化〉は始まっているのであって、初めから消費対象として差し出された〈記号〉としての〈クリスマス〉しか知らない日本人に対して説教を垂れても、単なる偏屈野郎扱いされるのがオチであろう。何せ、日本における〈クリスマス〉の雰囲気は並ならぬ強制力を持つ。〈クリスマス〉の夜を一人で過ごすというのは、「侘びしい」ことであるとされ、まるで恋人がいないことが罪であるかのようだし、デパート(は頼んでもいないのにも関わらず!)わざわざ、「気を遣って」包装紙や紙袋をクリスマス調のものにしてくれる。また、何気なくスーパーへと足を運ぶと、「クリスマスの特別メニュー」として普段はお目にかからないチキンの丸焼きや、〈クリスマス〉ケーキやらが売られている。例えクリスマスについて何一つ知らなくても、スーパーは何を食べたらいいのか、われわれにしっかりと教えてくれる。
 さて、逸早くクリスマスを〈記号化〉し、〈クリスマス〉の輸出大国となったアメリカでは今、何が起きているのだろうか。その一部は冒頭に紹介した通りだ。公共の場から、「クリスマス」という言葉が徹底的に排除されている。中には自主的に、「クリスマス」という表記を店から撤廃させた大手デパートまで存在する。〈クリスマス〉セールが途方もない利益をもたらすことを考えれば、これはおどろくべき事態であるといわねばならないだろう。アメリカにおけるクリスマスはそもそも、〈記号化〉されることで、キリスト教徒以外の人びとをもその雰囲気によって取り囲むことを可能にし、商業的な意味合いを深める一方、キリスト教的な意義をそぎ落としてきたのではなかったのか。だとしたらなぜ、この期に及んで、宗教的意味合いが薄れた〈クリスマス〉を、公共の場から追い出さねばならないのだろうか。政教分離の名の下に、アメリカ政府におけるキリスト教色を脱色させようとする涙ぐましい試みの一つなのだろうか。それとも、クリスマスがキリスト教の軛から完全に放たれ、単なる年末行事の一つとなろうとしているのだろうか。 
私には、アメリカにおける〈クリスマス〉をめぐる一連の動きには、ボードリヤールが分析した、女性を〈記号〉として解放することで、「現実の女性たちの社会的解放に伴う一切の危険を遠ざけ」(p.204)たのと同じような現象がおきているように感じられる。
 自ら国民に向けて"Happy Holidays!"と言ってみせたブッシュ大統領だが、彼は中年期に差し掛かってから信仰に目覚めた、「ボーンアゲイン」と呼ばれる敬虔というよりは、狂信的なクリスチャンである。ニューズウィーク誌(日本版)によれば、「現代のアメリカに、これほど宗教を重んじ、神への信仰に支えられ、導かれている大統領と政権はなかった」という。実際、ブッシュのキリスト教右派への揺るぎない信仰を物語るエピソードは腐るほどあるし、彼の政治家としてのキャリアは、共和党の中心的な支持基盤であるキリスト教右派の票を確実に取り込んでいくことで築かれて来た。キリスト教の信仰なしにして、「(G.W.)ブッシュ大統領」――それも、二期に渡って――は存在し得なかったといっても過言ではない。そんなブッシュが突然、"Happy Holidays!" である。「何かおかしい」と疑ってかかるべきだろう。
 私が考えるに、ブッシュは〈クリスマス〉に再びキリスト教の息吹を吹き込もうとしているのではないだろうか。「年末の国民的行事としての、〈クリスマス〉などくれてやる、なんせクリスマスは神聖なものだ。この神聖さがわからぬ非クリスチャンにまで、クリスマスを祝わせるなんてとんでもない」という訳だ。〈クリスマス〉の再-神聖化とでもいおうか。公共の場、つまり学校や役所などで徐々にクリスマスが排除されていけばいくほど、クリスチャンの家庭や教会において、クリスマスというものの神聖さがより一層浮き立つのではないだろうか。「世俗世界は〈サンタクロース〉だのなんだの言って、年末行事としての〈クリスマス〉を楽しんでいるが、われわれは「キリストの生誕を祝福する行事」としての「本物の」、「神聖なる」クリスマスを祝おう」と。そして、いささか大胆な仮説になるが、ブッシュ政権は、アメリカという国の理念としては「自由」「平等」「民主主義」などといった非宗教的理念を掲げておき、その一方で、個人的なレヴェルにおいては、キリスト教保守派の価値観や倫理観でもって人びとを徹底的に支配しようとしているのではないだろうか。そうなれば、率先して「悪の枢軸」と戦おうとする、従順な国民が生産されてゆくことだろう。一見、何のことも無い言葉の差し換えに見えるが、“Happy Holidays!モ という言葉に込められたブッシュの思いは、意外なまでに大きいのかもしれない。










参考図書
ボードリヤール『消費社会の神話と構造』(紀伊国屋書店

参考資料
アメリカにおけるクリスマスの現状
『読売新聞』(2004年12月24日)より「クリスマスが祝えない!?キリスト教の国アメリカ…是非議論が過熱」
・サンタクロースの起源
http://www.uraken.net/zatsugaku/zatsugaku_122.html
・ブッシュとキリスト教右派の関係
ニューズウィーク(日本版)』(2003年2月26日号)より「A Nation Bound by Faith 神と正義を信じすぎた国」
ニューズウィーク(日本版)』(2003年3月12日号)より「Bush and God 大統領を動かす神のささやき」
毎日新聞』(2004年12月21日)より「「宗教右派」法律家育成 価値観代弁、目指し」
http://www.getglobal.com/war/iraqwar5.html