イラクをめぐる考察

 イラクの首都バグダッドで拘束された、ローマの日刊紙"Il Manifesto"の記者、ジュリアナ・スグレーナ氏が3月4日、一ヶ月ぶりに解放された。(余談だが、彼女はドイツの週刊新聞"Die Welt"の記者でもあるそうだ。)だが彼女の無事を喜んだのも束の間、彼女はローマの空港に自分自身の力で降り立つことができなかった。「拉致犯からひどい扱いは受けなかった」というのにも関わらずである。なんと、二人の情報機関員と共に帰国の途につくべくバグダッドの空港に車で向かう途中、検問所で米兵から銃撃を受けたのだ。この攻撃により、スグレーナ氏を守ろうと身を投げ出した情報機関員が一人死んだ。そしてスグレーナ氏は鎖骨を骨折、もう一人の情報機関員は重体の模様だ。"Sueddeutsche Zeitung"は彼女の帰国の様子を伝える記事に、「解放後の悲劇」という小見出しをつけている。
 スグレーナ氏が解放されたのは、勿論喜ばしいことだ。だが、この一連の出来事の向こう側には、見い出さなくてはならないことがたくさんあるように思われる。今回の解放、誤射事件を一人のジャーナリストの個人的な出来事のようにして考えるべきでは決して無い。


 スグレーナ氏解放のニュースを知る前日、TBSの『CBSドキュメント』でグアンタナモでの暴行事件を追ったドキュメンタリーを観た。「グアンタナモでの暴行事件」と聞くと、「あぁ、拘束者が拷問を受けたって言う、あれのことね」と思うかもしれない。だが違うのだ。驚くなかれ、この事件の被害者は米兵なのだ。もっとも、加害者が米兵というのは何ら驚くべきことではないのだが。
 こういう時に限ってメモを取らなかったのでどこの州だったか分からないのだが、この男性は、9.11テロの発生を知った後にすぐ、一度除隊した州の軍隊への再入隊を決めたそうだ。そしてグアンタナモの収容所へ送られ、看守として勤めを果たしていた。仮に(というか名前忘れた)彼の名をV氏としておく。そんな彼が今は毎日何種類もの薬を服用し、一日に何度も癲癇のような発作に襲われる。こんな状態では仕事もできず、結局彼は軍隊を除隊する羽目に陥った。一体V氏の身に何がおきたのだろうか。
 あるとき彼は、拘束者の扱いに関して「訓練を行うから、拘束者の役をやってくれ」と頼まれた。訓練自体はよくあることなので、V氏は何も不信に思うこと無く、その命令に従うことにした。だが彼は更に、(ちゃんとした訓練をしたいので)「拘束着を身に付けてくれ」と要請される。V氏は、例え訓練とはいえども、拘束者のトレードマークとも言えるあのオレンジ色の服を着用させられるとは、「ちょっと変だな」と思ったそうだ。しかし上官の命令を断る訳にもいかない。彼は、言われるままに拘束者役を引き受けたが、もし身の危険を感じたら"red"と叫ぶ様に言われたという。そして拘束衣に身を包んだ彼は、個室の中で兵士らがやってくるのを待った。しばらくすると何人かの兵士がやって来たが、なんと、彼らは本気でV氏に暴行を加え始めた。彼は頭を激しくスチールの床に叩き付けられ、身の危険を感じたため"red!"と叫んだそうだ。しかし、彼の叫び声が聞こえないのか、兵士達がその合い言葉を知らないのか、暴行は続いた。そこでV氏は合い言葉ではなく、"I'm american soldier!!"とただ事実を叫んだ。何度かそう叫ぶと、やがて一人の兵士がその声を耳にし、やっと暴行が止まったという。V氏は自力で自分の部署へ戻り、その後病院に運ばれたものの、頭を激しく床に打ち付けられたのが原因で、癲癇のような発作を起こす身体になってしまった。
 軍がこの事件を闇に葬ろうとしているのは明らかだ。訓練の様子は必ず録画されるというが、V氏が激しい暴行を受けた訓練のテープだけは見つからないという。また、彼に訓練に協力するよう要請した上司、暴行を加えた兵士たちは罰せられていない。兵士たちは訓練の様子を報告する文書のようなものを書いているが、その内容はV氏の証言と大きく食い違う。
 兵士たちは、訓練なのか、本当の仕事であるかを知らないままでいたのだろうか。下手な憶測はしない方が良いだろう。だがそれにしても、一体何をどう考えたらあのような暴行を加えることが訓練であろうとなかろうと、許されうるのだろうか。また、グアンタナモには、一体どれほどの「偶然にも」見つからなくなっているテープが存在するのだろうか。そして一体全体、米軍ではどのくらい恣意的な「偶然」が許容されているのだろうか。疑惑の念が渦巻くばかりである。


 武装集団から解放され、帰国の途についていたスグレーナ氏を襲った「誤射」と呼ばれる突然の銃撃、そして、一人の誠実で真面目な(軍が事件を公に認めないため、数々の苦労を強いられているにも関わらず彼は身体さえ良くなれば、また軍隊で働きたいと言う)州兵を襲った「訓練」と言う名の暴行事件。これらは皆、氷山の一角であると考えておかねばならないだろう。
 「誤射」に関して言えば、ブッシュがすぐに謝罪を行ったのは、そして、イラクにおける米兵の「誤射」がこれほどまでに大きく報道されたのは、被害者がイタリア人――それも特別な境遇の――だったからに過ぎない。この一連の報道を前に、われわれは、多くのイラクの民間人が同じような「誤射」により死んでいったこと、そして彼らは今この瞬間にも車を運転しているだけで、イラクを「解放」しに来た米兵の銃撃に遭う危険性と隣り合わせであることを少しでも想像してみる必要があるだろう。
 スグレーナ氏の事件を聞いて私がすぐさま思い起こしたのは、ニューズウィーク誌日本版(2005年2月2日号)に掲載されていた、「PICTURE POWER 'We Were Just Going Home' イラク人家族を襲った悲劇の銃弾」という記事の、検問所で銃撃を受けたイラク人家族の衝撃的な写真だった。スグレーナ氏が被害に遭おうが遭うまいが、イラク各地の検問所――それもいつどこに設置されるか全くわからない上、イラクの人たちにはわからない米(軍)式の「停止」サインを使っているともいわれている――での「誤射」は、米軍がイラクを制圧してからというもの、絶えることがないのだろう。


 アメリカは、イラクの地に土足で入り込み、めちゃくちゃに踏み荒らしてしまった。勿論、イラク戦争に反対せず、アメリカの肩の上にちょこんとのっかり、今も自衛隊サマワの地に留まらせている日本も、イラクを破壊する片棒を担いでいると言わねばならない。そして日本政府と世論は、「自己責任論」によってイラクで拘束された日本人を非難し、イラクから日本人を引き揚げさせた。その結果であろうか、驚くべきことに今、イラクには日本の大手新聞各社の駐在員はいない。試しに手元にある新聞を見てみるといい。イラクでの出来事を伝える記事の署名は、【カイロ=名前】となっているはずだ。これが「自己責任論」――というより「自業自得論」といった方がしっくりくる――の戦略の一つだったのではないだろうか。
 確かに、無知盲目のままイラク入りして拘束され、首を切り取られた日本人もおり、この人物にまつわる悲劇を語るとき、「自業自得」や「自己責任」といった言葉を用いることは可能だ。何せ彼は、希望に燃えるが故にだか何だか知らぬが、自分のしていることを全く理解していなかったのだから。この日本人が無事に解放されることなく殺された理由として、イスラエルの入国証が挙げられるという。常識的なこととして、中東を旅する途中でイスラエルに寄る場合、入国やビザのハンコはパスポートには捺さないでおくそうだ。イスラエル当局は、イスラエルに入国した印がついたパスポートを持ってアラブ諸国を旅することが危険だということを十分に承知しているため、入国の際に「パスポートには押さないでくれ」と頼むと別紙に捺してくれるそうなのだ。この事実を知らなかったが故に、中東という地を旅するには余りにも非常識だったが為に、彼はその命を奪われた可能性がある。よく、「常識を知らない=型にはまらない自由な人、面白い」というような定式があり、それを自ら自慢してみせる輩がいるが、これぞ本物のバカである。常識を知った上で、常識の隙間を堪能する能力のある人こそが、時にバカ呼ばわりされながらも、朽ち果てることなく生きてゆけるのだ。常識を知らないでいることがどれだけ恐ろしいかを、この日本人は悲劇的に見せつけることになってしまった。
 だがだからと言って、サマワに駐留する自衛隊を放っておいていいのだろうか。日本の主要メディアは、決して記者を現地に派遣しない。これでは日本政府の思うままである。一時は「自己責任論」の波に乗りかかったこともある私だが、今になってこの一連の議論の効果にぞっとしている。


 踏みにじられたイラクの地にできた無数の穴ボコが再び埋まる日は、果たして訪れるのだろうか。この問いに答えることができるのは未来の人間だけだろう。だがわれわれは常に、メディアが差し出す記事の向こう側をほじくり出す努力をしていかねばならないのではないだろうか。