ヴェジタリアン

 皆さんの周りには、ヴェジタリアンがいるだろうか? もちろん、あなた自身がそうである可能性もあるだろう。御存じの通り、ヴェジタリアンとは日本語で菜食主義者と言われる人たちのことで、おおまかな定義をするとすれば、倫理的、宗教的もしくは健康上などの理由から肉を食べない人たちのことだ。私は中学、高校とシュタイナー教育の影響を受けた学校に通っていたためか、同級生や教員の中にわずかばかりのヴェジタリアンがいたが、それ以外の場において日本ではあまりヴェジタリアンにお目にかかってこなかった。また私自身は何の疑問もなく肉を食べて育ってきたので、わざわざ肉(コンソメも)を避けて生きている人たちがいるということをなかなか実感できなかった。
 そのため、ヴェジタリアンが珍しく感じられ、高校2年の夏休みを過ごしたアメリカのミュージックキャンプ(キャンプといっても別にテントを張ったりするのではなく、宿泊施設は整っている。アメリカの子供達は長い夏休みのうち何週間かを様々なプログラムが用意されたキャンプで過ごすのが習慣となっている)や高校3年の一年を過ごしたドイツでそういった人に出会うと、「魚は食べるのか」「なぜヴェジタリアンになったのか」また、「肉を食べてみたいと思わないのか」などという質問を率直にぶつけていた。今思うと少々不躾なことをしてしまっていたかも知れない。だが今さらそんなことはどうでもいい。何はともあれ当初、私は、ヴェジタリアンは肉を食べないのだからさぞかしスリムなのだろうと考えていた。何たる想像力の乏しさ。 
 この考えはミュージックキャンプの初日に見事に打ち砕かれた。顔も体型も真ん丸な「デブ」と形容することに何の差しつかえもないような、知り合って間もない少女が食堂のヴェジタリアン用のテーブルについていたのだ。驚いた私は休憩時間になると、早速彼女に「ヴェジタリアンなの?」と質問してみた。すると答えは「yes」で肉は食べないと言う。しかし、スナック菓子やチーズなどの乳製品、卵などは食べるということだった。このとき私は当たり前の事実に気付かされた。肉なんか食べなくても菓子類や乳製品で十分人間は肥えることができるのだと。彼女のお陰で私は浅はかな考えを捨てることができたのだが、その時受けた「人間は肉を食べないでもここまで太れるのか!」という衝撃が強かったためか、彼女に関しては外見以外、名前も楽器(ミュージックキャンプだったので、参加者は全員、楽器なり歌なりができた)も思い出すことができない。
 さて、話をドイツに移すことにする。ドイツでは大抵のレストランにヴェジタリアン向けの食事があるし、ユースホステルの食事や大学の学食のメニューには必ずと言っていいほどヴェジタリアンフードが用意されている。統計などは調べていないのだが、100人近くが集まったユースオーケストラのメンバーの内、10人前後がヴェジタリアンであった。正確な数字は分からないがとにかく、経験上、日本にいるよりはヴェジタリアンに遭遇する確率が格段に高い。そして言うまでもなく、ドイツでもヴェジタリアンに会う度にいろいろな質問をしてみた。特に一緒にトルコ風ファーストフード(ケバブ)の店にいくと、彼らは刻みキャベツの酢漬けしか他に食べるものがなく、食事が貧相にみえて、「本当にそれだけでいいの?」などと余計な世話をやいたりしていた。だが中には兵もいて、真顔で「チーズバーガーの肉抜き下さい。」と言ってのけ、トルコ人のおじさんの目を真ん丸にさせていた。そして彼女は、「そんな注文今まで一度も受けたことがない。なんなんだいそれは?」と当惑する彼に向かって、「え、なんでそんなに驚くの? 肉を抜いてチーズを増やすなりなんなりしてくれればいいわよ」と逆に不思議そうな顔を向けていた。あの時の彼女のイノセントな顔は今でも忘れられない。しかもその直後、私は何を思ったのか、メニューに存在しないフィッシュバーガーを注文してしまい、店のおじさんに「こいつら気が狂ってるっ!」と言わせることになってしまった。彼の困惑しきった顔も忘れることができない。
 話が少々それてしまったが、そんな彼女は、肉を食べない理由を「動物がかわいそうだから。それに気持ち悪いじゃない」と説明してくれた。そういいながらも実は彼女はヴァイオリン弾き――それも相当の腕前の――である。羊の腸か何かで作られたガット弦を、馬のシッポの毛で擦って美しい音を奏でているのだ。同じ「かわいそう」でも、口にいれなければいいのだろうか。詳しいことは分からないが、彼女なりの考えがありどこかで線引きをしているのだろう。 
 ところで、彼女が肉を食べない理由は始め、理解し難いように思えた。なぜなら私は、全ての動物に対して無条件に「かわいそう」という感情を抱くことができないからだ。しかし、「気持ち悪い」というのは理解できる。これは恐らく、私がカエルやイグアナを食べたくないと思う気持ちと同じものなのだ。そう考えると、彼女が「気持ち悪い」という理由で肉を食べられないというのも少しは分かってくる。
 また別の友人は、2歳の時に「私は肉を食べたくない」と突然に宣言をして以来肉を食べなくなったそうだ。彼女の家族はヴェジタリアンでないため、彼女だけ普段の食事から肉を取り除いて食べると言う。なぜ急にそんな宣言をしたのか全くもって不思議だが、本人に理由を訊ねても、「なんとなく」という返事しか返ってこなかった。
 ここまでで幾人かのヴェジタリアンを紹介して来たが、彼らはみな、理由は様々であろうが肉を食べないだけで、魚や乳製品、卵などはよしとしている。だが世の中には、肉だけでなく、魚や卵、乳製品も食べないという、スーパーヴェジタリアンとでも呼びたくなるような人たちもいる。とにかく動物性のものであれば一切口にしないらしい。中には蜂蜜でさえ拒絶する人もいるという。そのような人々のことをveganヴィーガンと読むらしい)と呼ぶ。一口にveganといっても様々なタイプがあるようで、究極のveganは野菜や果物でも、腐りかけて自然に落ちてくるものだけを食べるそうだ。お腹がすいたときに何かを食べるのではなく、落ちてきたときにだけ食べるのだろう。食事は自然の周期にあわせてとるのがよい、ということなのだろうか。ヴェジタリアンと同様、veganになるのにも健康や倫理、信条など様々な理由があるようだ。しかしドイツでもveganはヴェジタリアンに比べると大分少ないし、少々極端すぎるため、時としてヴェジタリアンからも気味悪がられていた。正直なところ私も、自分と同じ生活環境にいながらもveganでいる人たちの気が知れない。一人だけveganを知っているのだが、彼はクレープパーティーに来ても野菜スティックをポリポリかじっていいて、その白けた姿をみるとこちらも白けてしまったりしたものだ。彼の作る野菜用ディップはなかなか美味しいので、何時の日かまた味わいたいものだが、こちらが食事をご馳走するという事態はなるべく避けたい。
 これからも様々なタイプのヴェジタリアンやveganに出会うことになるだろうが、飽きがくるまでいろいろと質問をぶつけていってみようと思う。