成瀬映画の備忘録 

●『妻』1953。林芙美子原作。上原謙高峰三枝子が夫婦。
 倦怠期を迎えた夫婦。夫が安月給なため、二階は間借りにし、妻は内職に励む。二人の仲は冷めきっており、妻が夫に持たせる弁当は毎日同じ。夫はやがて、会社にいた未亡人と不倫関係に陥る。この二人の関係を知った妻は、夫に内緒で女に会いにゆき、別れるように迫る。結局女が身を引き、不倫は終わるが、だからといって夫婦の仲が良くなった訳でもない。なんだかスッキリしない映画。


●『歌行燈』1943。泉鏡花の同名小説。
 能の家元(?)を継ぐこと間違い無し、と思われていた若者が、ある老人を自殺に追い込んだことから、父に破門され、唄うこと、舞うことを禁じられてほうり出される。やがてこの若者は、しけた田舎の酒屋街を巡り、三味線を弾きながら歌い、小銭を稼ぎながら過ごすようになる。そんな中、ひょんなことから自分が自殺に追い込んだ男の娘と出会う。彼女が窮地に陥っていることを知った彼は、この女に舞いを教えることで芸者として食っていけるよう計らい、罪滅ぼしの代わりとした。
 一方、息子を破門した父は、優秀なうたい手である息子を失った痛手に苦渋の思いをしていたが、破門を解いてやれとの小鼓の師匠の助言は一切聞き入れない。ある晩、二人は芸者を呼ぶ。くしくもこの芸者は息子が舞いを教えた女だった。彼女の舞いを見てただ者ではないと悟ったところへ、息子がやってくる。
 破門は解かれ、この女は嫁として迎えられることとなり、ハッピーエンド。
 この息子が、白塗りの顔で、ちょっとキモイ。


●『山の音』1954。川端康成原作。上原謙が酷い夫役。山村聰原節子の義父。
 山の音 [DVD]
 これ以上ないまでに、良き妻がいるのにも関わらず、常に不満顔で浮気する酷い夫。夫婦の仲は冷えきっているが、それでも妻は夫に文句も言わず、夫への代わりとでも言わんばかりに義理の両親につくす。そんな妻を不憫に思う、夫の両親、特に義父は彼女に優しく接する。とにかく、原節子の「間」というか、空間が美しい。
 色々読んでみると、原節子演ずる菊子と義父は、恋心を抱き合っているのだそうだ。



●『放浪記』1962。高峰秀子林芙美子田中絹代は母。
 放浪記 [DVD]
 林芙美子の自伝的小説の映画化。
 不器用に、力強く生きた女の一生、とでも言えばいいのか。



●『銀座化粧』1951。田中絹代香川京子
 新東宝映画傑作選 銀座化粧 [DVD]
 銀座のホステスをしながら、路地裏の家の二階に息子と住う、雪子。客の男が見せた、一瞬の甘さに騙され、息子を身ごもるが、妊娠を知ったとたんに相手の態度は一変。男の家族のことを思い、身を引いた彼女は、女手一つで子どもを育てている。「女手一つ」とは言うものの、階下に住む大家夫妻は母親のいない間、子どもとお風呂屋に行ったりしてくれるし、ちょこちょこと面倒をみてくれる。
 気丈に振る舞い、仕事をこなす母も素敵だが、6歳くらいの息子もまた素晴らしい。あんな子いるかしら。一人でそば屋に入って御飯を食べたり、寂しい想いを親にぶつけたりもしない。夜は自分で布団を敷き、床に入る。
 印象に残るのは、雪子が食い逃げしようとする客について行きながらも、結局取り逃がしてしまい、「一杯ひっかけて」ふらふらになって家に帰って来るシーン。階段を危なっかしく登る姿がなんともいえず、心に響く。
 一言も言わずに、「藤村のおじちゃん」と釣りか何かに出掛けて、帰って来なかった息子を見つけ、「バカ、バカ、バカ」と激しく言う。すると突然、「うぇーーーん」と子どもが泣き出す。あの叱り方が良い。ボキャ貧だけど、いや、だからこそか、息子の行方をどれだけ案じていたかが、伝わって来る。母の気持ち、子どもの「だってー、おかあちゃん動物園に連れて行ってくれるっていったのにー。わーぁーん」という気持ち、どちらも一緒に泣きたくなる。
 


●『舞姫』1951。川端康成原作。高峰三枝子山村聰が夫婦。娘に岡田茉莉子←声変。息子が片山明彦。
 「自由、自由っていうけど、私の自由を誰かに捧げる自由だってあると思うの。」これ、名台詞。
 本命でない男と結婚し、本命の男を二十年間愛し続けた女。二人いる子どものうち、息子は父の味方で、母が父を愛さないことに不満。娘は母の意志を継いでバレリーナをやっているし、母の味方。バレエの先生として、教室を持つ妻に支えられて来たということで、負い目を感じる学者の夫は、遂に切れて、母は家出。
 妻は、長年想って来た男に旅行に誘われるが、娘に手紙を渡しにいかせ、結局この男との関係を清算する。一方夫は家で、普段は煩わしく思っていたバレエの音楽を独り寂しく聞いている。そこへ、妻が現れる。一段上の室内で妻を見つめる夫。庭から夫に視線を投げ掛ける妻。
 


●『おかあさん』1952。田中絹代香川京子『放浪記』、『放浪記』の間借人のおじさんが「捕虜のおじちゃん」?、『舞姫』の息子が長男。香川京子に惚れるのが岡田英次
 戦争で店を失った、クリーニング店を復活させようと、働く家族。だが、長男は仕事先の埃か何かが原因の病気で死んでしまう。追い討ちをかけるように、復活したクリーニング店の要である父も過労で逝ってしまう。長男の死の描き方は、斬新というか、省略に満ちている。かあちゃん恋しさに、療養所を抜け出して家に舞い戻って来てしまった彼に、好物だという夏ミカンを剥いてやる、母。「汁だけでもいいから、すすってみなさいよ」と話し掛けるが、息子は応えぬまま眠りに入る。そして、長女が花を持って道を歩くシーンにカットする。長女とすれ違った知人が、「お兄ちゃんのお墓参り?」と彼女に訊ね、衝撃的に、あっけなく長男の死が知らしめられる。
 過労に倒れ病床につく父は、今までお願いなんて一つもしてこなかった母の「一生のお願い」である入院を断固拒否し、昼食をとろうと家族が集まったところで、「かあちゃん」と呼び、死ぬ。
 この映画、長男の死があっけなく、「もう(長男の出番)終わりかよ」と拍子抜けするのだが、もっとびっくりする、「え? 終わり?!」が出て来て楽しい。ちゃめっけ。(映画の中に登場する映画で、「終」って出て来て本当にびっくりするのだ。)
 『銀座化粧』でもほろっと来た、普段は気丈な母が一瞬見せる人間の弱さのようなものがこの作品にも出て来て、一緒に泣いてしまう。死よりも涙を誘うのは何故だろう。


●『夫婦』1953。杉葉子上原謙が夫婦。三國連太郎が竹村、岡田茉莉子が中原妻の妹。
 またもや登場、夫婦の倦怠期。結婚六年目の中原夫婦。地方へ転勤だったのが東京へ戻ってくることになったが、住宅難のため住むところが見つからない。そんななか、サラリーマンの夫は、同僚の竹村が妻に先立たれたため、家には余裕があることを知り、そこに夫婦で越して来る。そして一階に夫婦、二階に竹村という生活がスタートする。
 ※以下結末まで書いてあるので要注意※

 妻に愛想をつかし、自分だけ貧乏くじを引いていると感じる夫。冷たくされても、軽くあしらわれても、夫の面倒を一生懸命みる妻。二人の仲が冷えきって行く中、竹村と妻はどんどん親交を深めて行き、竹村は妻に惚れていることを夫に告白する。これじゃいかんということで、夫婦は引っ越す。だが別に、夫婦の仲が良くなった訳ではない。そして、子どもがいないことを理由に入れてもらった新居に越して来たその日、妻は夫に妊娠を告げる。せっかく見つけた新しい部屋を、数カ月後には手放さねばならぬことを知った夫は、妻に堕ろすように命令。そんな宣告をされ、泣いた妻だが、夫婦で産婦人科にやって来る。入り口で夫と別れ、一人中へと入って行く妻は、隙を観て外へ出てきてしまう。妻は来た道を歩いて行き、公園のベンチに腰掛ける。それを見つけた夫。そして、彼らの目の前では子どもたちが遊んでいる。しばし沈黙の後、夫の「帰ろう」という一言が夫婦としての二人の人生を決定付ける。で、「終」。
 原節子の、いわば代役として抜てきされたと言う杉葉子だが、「これは、杉葉子で良かったんだよ」と言いたい!


●『浮雲』1955。高峰秀子森雅之岡田茉莉子加東大介
 浮雲 [DVD]
 富岡と雪子は、戦地で出会い、戦後結婚する約束をする。だが富岡には妻がいる。別れるから、東京で一緒に…、と誘ったくせに、雪子の電報も無視し、結局別れないまま。行く当ても無い彼女は、以前自分を手込めにした男が疎開先からまだ帰っていないのを良いことに、親戚といつわって、マフラーや布団をくすね、ボロ屋を借りてパンパンを始める。
 ある晩、富岡が雪子の部屋を訪ねる。そしてそのまま伊豆だか伊東だか、温泉街へ出掛け、そこで年を越す。宿代が足りぬため、富岡が時計を売った先が「ボロネオ」とかいう喫茶店の主人。二人は、派遣先の戦地が近かったため、すっかり意気投合する。富岡と雪子、それにこの店の主人とその妻。四人で酒を呑む。が、この妻を一目見たときから富岡は気になって仕方がない。結局二人で風呂なんか入っちゃう。雪子は当然、気付く。いじけて帰るというので、富岡も帰る。
 その後、富岡は引っ越し先も知らせずに、越してしまう。なんとか突き詰めた住所を訪ねるとなんと、
伊豆で出会った女、おせいちゃんがいるではないか。おせいは否定するが、部屋の中を見るとどう考えても同棲中だ。だが雪子は帰るわけにもいかぬ。なぜなら、妊娠を告げに来たから。富岡とはあっぱれな奴で、「始末しようと思うの」と語る雪子に向かって、「子どもを生んでくれればあとは面倒をみる、是非生んでくれ」なんて言ってみせる。絶対やだっつうのね。だが「始末」するカネがない雪子は、あの嫌らしい男の元を訊ねる。彼は新興宗教でボロ儲けしていて、カネを貸すばかりでなく、「家もあげるから」と雪子を一緒に住うよう、誘う。
 手術は独りだ。富岡なんて来ちゃくれない。術後に苦しむ雪子は、病院のベッドで少し休んでいくことにした。たまたま隣にいた患者が読んでいた新聞のある記事が眼に飛び込んで来る。なんと、おせいとあの伊豆の旦那がもめたあげく、おせいを殺してしまったというのだ。
 どのくらいの間があったのか分からないが、眼帯をした富岡が、詐欺男の所に住う雪子を訊ねて来る。自分の妻が死んだので、葬式代を貸して欲しいとのこと。今じゃすっかり裕福になった彼女は、すんなり2万円を差し出す。嘘臭い、嘘臭いってば。多分、嘘だったんだろうな。
 富岡を愛しているのか、ただ寂しいだけなのか、詐欺男にいい加減嫌気がさしたのか、雪子はある日、カネを持ち出して以前富岡と来た伊豆の旅館へ逃げて来る。そして富岡に、「来ないと死ぬ」と電報を打つ。なんか、この辺りから、高峰秀子が急に輝き始める。女の弱さをさらけだすようになるからか。
 そして、「盗んで来たカネもいずれ底をつく。くっついたり離れたりという二人の生活をどうにか変えねばならない」と言う富岡は、一人で屋久島に渡ることを告げる。行き場の無い女、雪子はねだって何とか、一緒に連れて行ってもらうことにした。
 一度東京へ戻ると、あの詐欺男が富岡を訊ねて来たことを、隣人から知らされ、二人は逃げるようにして屋久島へ向かう。だが海を前にした鹿児島で、突然雪子が病魔に襲われる。すっかり弱った彼女は、床から言う。「あなた、私を置いていくつもりだったんじゃないの?」当然観ている側だってそう思うし、行ってしまうんでは……、という危なっかしいシーンも描かれる。しかし、今度ばかりは裏切らなかった富岡。病気ですっかり弱った雪子を気づかいながら、屋久島に到着する。船から陸へ降り立つが、雪子はもう衰弱仕切っていて、自分で歩けない。雨の中、担架で運ばれる雪子。こんなに弱ってたのかよ、とショックを受けるシーンだ。
 ※結末あり※

 年中雨が降る屋久島に、久々に太陽が顔を出した日のこと、体調がよく、咳も出ずおしゃべりをする余裕すら見せる雪子を後にして、富岡は山へ出掛ける。玄関の外へ出た後、富岡は女中に、もしものことがあった時のために、鹿児島にいる医者の連絡先を渡す(屋久島は無医村)。それを床から見る雪子。「あの人は、あんな女中でも気になってしまうんだわ。わたしはもうダメね。」そんな感じ。
 再び嵐に見舞われた屋久島。家には雪子一人。雨戸がばたばたしているのに気付いた彼女は、力を振り絞って閉めに行こうとする。が、布団からはい出した後、急に苦しみだして何かを口から出しながら、死ぬ。
 女中が戻って来てことを知り、連絡を受けた富岡は山からかけ下りてくる。すっかり重い空気に包まれるなか、富岡は二人きりにしてくれと頼む。顔をやさしくふいてやり、彼女のバッグから口紅を取り出して、つけてやる富岡。ランプを彼女の傍にもって行き、顔を照らしだす。美しい死に顔。雪子を見つめながら、出会った頃の元気一杯の彼女を思い起こす。っつうか、今頃、今頃になってやさしくするなんて…。絶句。そして、亡骸に身を寄せて泣く富岡。
 終わりに、「花の命は短かりけり、苦しきときは長きけり」だったか、確か、『放浪記』の最後にも出て来た詩が出る。暗い…。



●『驟雨』1956。原節子佐野周二香川京子加東大介中北千枝子
 倦怠期を迎えた夫婦の元へ、新婚旅行に出掛けたはずの姪っ子がやってくる。本当に些細な、誰が映画にするじゃい? という感じの日常を描いた作品。夫婦のすれ違い方の描写とか、うまい。小さなエピソードで出来上がっているため、二度観たけれど、全体のストーリーよりも各場面ばかり思い起こされる。
 まず冒頭。自分が新聞を読む前に料理欄を奇麗に切り抜いてしまう妻を咎める夫。「君ねぇ、切り抜くなら僕が読んじゃった後にしてくれないかなぁ。それに、どうせ切り抜いたって作りもしないじゃないか。」何故か穏やかに妻を非難。応酬する妻。「あら失礼ね。グリンピース一缶だってxx円もするのよ。塩鮭だったらxxで済むのに。第一、あぁたのお給料じゃ贅沢なんてできないわ。」(こうやって日常を描きながら、露骨に物価を明らかにする。)
 とにかく、コミカルに描かれた些細な出来事成り立っている作品。「うまい」としか言い様がない。


●『流れる』1956。田中絹代山田五十鈴高峰秀子中北千枝子、松山なつ子、杉村春子岡田茉莉子加東大介
流れる [DVD]

●『秋立ちぬ』1960。大沢健三郎、乙羽信子、一木双葉、加東大介

●『妻として女として』1961。森雅之淡島千景、星由里子、大沢健三郎、高峰秀子

●『女の座』1962。笠智衆杉村春子高峰秀子、大沢健三郎 、草笛光子司葉子 、星由里子、加東大介

●『女の中にいる他人』1966。小林桂樹新珠三千代三橋達也草笛光子
女の中にいる他人 [DVD]