ニーチェを読もう!

 JR西日本福知山線での脱線事故から三週間ほど経った。始めの数日は毎日のように新聞の一面の見出しを増える一方の死者数が飾ったが、気付けば被害者の数が完全に把握されてからというものの、事故後のJR西日本の社員らの、次々と明るみに出る軽率な言動の数々がトップ記事の座をかっさらっている。また、列車のスピードを制限したりする安全装置、ATSという機械について、しきりに説明がなされている。たまたま目にしたワイドショーでは、先頭車両の側面の下の方に記されたアルファベットで、その電車が使用している安全装置の種類が分かるということを紹介し、「皆さん、電車をご利用の際はこういったところに注目して、ご自身で安全対策をなさって下さい」などとほざいていた。安全装置について知ることの、一体どこが安全対策なのだろうか。
 他にもマスコミは日々、事故に遭った人たちや遺族らから悲劇の物語を紡ぎ出し、彼らの悲痛な表情を大々的に報道する。脱線事故は、罪なき人びとの命をごっそりと奪い取り、多くの人びとの幸せな生活を破壊し、希望と夢に溢れた被害者たちの人生の行く先を暗闇に突き落とした。こんな惨劇を起こしたJR西日本は、〈悪〉の化身以外の何ものでもない。悲劇の主人公たちの代弁者、〈正義〉の味方マスコミは、JR西日本の安全対策や、事故後の社員らの動きを逐一掘り出し、批判しまくる。
 この事故に関した番組は敢えて見ないようにしていたのだが、友人がつけたテレビに映し出された記者会見では、質問者が会見の場に登場したJR西日本の誰かに噛み付いていた。具体的な言葉は覚えていないが、その言葉遣いと横柄な態度には唖然とする他なかった。だが、「おめぇふざけんなよ! なめんじゃねぇよ!」と殴り掛かからんばかりに満身の怒りをぶつける記者の顔は、映らない。マスコミが人びとに見せる必要があるのは、〈悪〉の大王が〈正義〉の味方に追い詰められ、たじたじとする姿なのだから。真実を暴き、民衆に伝える義務を負ったマスコミは同時に、〈悪〉の化身を徹底的にぶちのめす義務をも負っているのだ。〈悪〉に対してはどんなに〈悪い〉ことをしても構わない。〈悪〉の組織、JRに努める人間になど、もはや人間扱いされる価値はない。これは比喩でも何でもない。マスコミが、両手を縛られたJR西日本の代表たちにジャブを浴びせる中、〈JR〉の運転士や車掌らに対する嫌がらせが増加しているというのだから。
 マスコミの〈正義〉感による集団リンチや、それを当り前のものとして受け止める人びとの、JR西日本の一部の社員たちに劣るとも勝らない無神経さを目の当たりにすると、新たな死者――〈善良〉であるが故に〈良〉心に押しつぶされる自殺者――が産み出されるのではないかという、不吉な考えが頭を過ってしまう。マスコミのみならず、彼らの一方的なまなざしに何の疑問も持たない人びとによる社会的制裁の恐ろしさといったらない。いや、「制裁」などという言葉は相応しくない。嫌がらせに飢えた、ルサンチマンを糧にして生きる人びとが単に、〈JR〉という良いカモを見つけたというだけのことなのだから。今や、〈JR〉にだったら、文字通り何をしても構わない。
 ところで、ルサンチマンのエネルギーそのものは対象を必要としない。思い込み一つで自ずと発生してしまえば、これといった理由などなくとも怨恨のエネルギーは温存され続ける。そしていざ対象を見つけると、火炎放射器顔負けの勢いで火を吹き始める。だが、この火は何も焼き尽くさない。ルサンチマンの火は温度を持たない。だからこそ、どれだけ火を吹いたとしても、何一つの変化も引き起こさないのだ。われわれはこの光景を去年も見たことがあるし、また、来年も目にすることになるだろう。
 JR西日本が事故を起こす要因を多く抱えていたというのは紛れも無い事実であり、事故は起こるべくして起こったと言っても過言ではないのかもしれない。だが、この会社を叩いたところで何も改善されない。きっと、マスコミという名の獣に取り囲まれた、記者会見の場に登場するJR西日本のおっさんたちの姿を目の当たりにしたJR東日本あたりは、事故や故障を減らすことに全力を注ぐよりも、きっと記者会見での謝罪の練習にでも勤しんでいることだろう。
 自らを、企業という〈悪〉に攻撃を加える〈正義〉と位置付けるマスコミは、恐いもの知らずだ。マスコミと言う名の、カメラ――そのレンズの彼方には途方も無い数の目が潜在的に潜んでいる――を持った怒れる集団を前に、引き受けきれない程大きな責任を負ったおっさんたちは、一体何を思うのだろうか。〈正義〉感を燃料に、猛烈に燃えるルサンチマンの炎に取り囲まれた彼らは、「畜生! なんでオレが!」と思わずにはいられないだろう。かくして、怨恨が怨恨を生む。
 正直なところ、この文章について、結論らしきものを捻り出すことがどうしてもできない。今後、何か新しい刺激を受けたり、今までとは違う次元に立つことができた暁には、続きを書きたい。だが今は、ここで終わりにせざるを得ない。では、また。

◎JR職員への嫌がらせについて

〈読売新聞 - 5月8日10時57分更新〉
運転士や車掌などへの嫌がらせ、事故後70件…JR西

 JR福知山線脱線事故後、JR西日本管内で、運転席後方のガラスに「命」と印刷された紙が張られたり、女性運転士がホームでけられ線路に落ちそうになったりする嫌がらせ行為が約70件も相次いでいることが、7日わかった。
 事故以降も後を絶たないオーバーランや不祥事も影響しているとみられている。
 西日本旅客鉄道労働組合(JR西労組)などによると、4月27日夜、JR東海道線の大阪駅に着いた新快速電車の運転席後方のガラスに「命」と書かれた紙が上下逆さまに張られているのが見つかった。同様の張り紙はこれまで計6回あった。
 今月6日には、大阪駅ホームで電車を見送っていた女性運転士が、男性に足をけられ、ホームから転落しそうになったという。
 このほか、▽東海道線野洲駅で、男性駅員が「尼崎の事故でたくさん死んでいるのにJRは何をしてるんや」と言われ、顔を殴られた▽福知山線宝塚駅で、若い車掌が乗務員室から引きずり出された▽大阪駅で、運転士がコーラの缶を投げつけられた――などが相次いでいる。


スポニチ 2005年05月11日付紙面記事〉
JR西日本に嫌がらせ相次ぐ

 尼崎JR脱線事故以後、線路に石や自転車などを置く事件が多発。駅員を平手で殴ったり「人殺し」と暴言を吐くなど、JR西日本に対する暴行や嫌がらせも相次ぎ、兵庫県警などに約60件の届けが出ていることが同日、判明した。
 職員に対する暴言は7日までに約160件、暴行は6件。女性運転士が足を蹴られたり「JRは人殺し」と言われたケースや、運転席の後ろに「命」と印字した紙を逆さまに張るなどの嫌がらせもあった。一方、北海道函館市のJR函館線桔梗―五稜郭間で10日午後9時ごろ、普通列車の運転士がレール上に石のようなものがあるのを発見し、緊急停車した。函館中央署の調べでは、縦約17センチ、横約14センチ、厚さ約10センチのコンクリート片で、車輪と接触した際にレールから落ちた。車両に異常はなく、約15分後に運転を再開した。


毎日新聞 2005年5月11日 10時33分〉
JR西労組:
暴言・暴力やめて 妨害行為160件と発表

 西日本旅客鉄道労働組合(JR西労組)など3労組が10日会見し、尼崎脱線事故以来、JR西日本の運転士・車掌に対する暴言やいたずら、暴力行為が約160件に上ったと発表、「度を超えた批判行為は、かえって鉄道の安全を脅かす。頻発している線路への置き石を含め、運転の妨害行為はやめてほしい」と理解を求めた。

 JR西労組によると、事故に関する暴言が大半だが、乗務員への暴力行為は4件あった。▽先月25日の事故当日夜、大阪駅に停車中の電車の運転席に中身の入った清涼飲料水の缶が投げ込まれ、男性運転士の肩に当たった▽同30日、三ノ宮駅に停車中の電車の車掌室に男性2人が入り、阻止したところ足をけられた−−など。暴言としては、同27日、20代の女性運転士のいる運転席に向かって男性数人が「人殺し」と大声でわめいたケースがあった。女性運転士はショックを受け、乗務を外れているという。

 そのほか、ホームで乗降を点検中の駅員への暴力も2件あったという。【川上克己】