京都紀行

 親がドイツで世話になっている初老の夫婦に案内役を頼まれ、京都に行って来た。この年にして初京都である。初めて行くのに案内も糞もないが、日本語も英語も出来ない二人にとっては、心強いものがあったのだろう。四泊五日の京都旅行の記録を記しておくことにする。


 1日目。
 午後一時過ぎに京都駅に到着。駅ビル内でカツ丼を喰らう。まぁまぁのお味。大きい荷物を、駅構内にあるホテルのサービスカウンターに預け、いざ出発。バスで三十三間堂に向う。噂には聞いていたが、凄い。最前列に二十八の守護神が並び、その後ろのひな壇にずらーっと観音様が並んでいる。千体あるとのことだが、もうこんだけあれば900体だって、1001体だってどうだっていい。「全部同じ顔か?」と思いきや、二つの観音をピックアップして交互に見ると、絶対に違うのが分かる。因に、仏像が薄眼なのは、何十メートルか先を見ているからなんだとか。守護神はみな、170センチ前後で、前に立つと眼を合わせることができる。何が自分の眼を吸い寄せるのか分からないままに、一つ一つと対面してみた。と、後ろを、小学生団体が物凄いスピードで通り抜けて行く。「うわぁ、きもっ」と少年の声。彼らにとって彫り物など、何の興味があろう。先生らしき人も、何かを説明したり、見入る様子は全くない。うざいと思ったのも束の間、一瞬で消えていってしまった。廊下の端に立って反対側の端を見ると、相当な距離がある。これだけ長いと、弓を競いたくなるのも分からないではない。
 お次は隣りの智積院。屏風画で有名。現在は保存のために、絵だけは別室に移されている。雰囲気は損なわれてしまっているのかもしれないが、絵を間近で観られるのはありがたい。金ぱくが漂う雲のように貼られている。
 とりあえず寺というものを見た後、京都文化博物館へ。地下鉄の出口を間違えてしまい、相当迷った。京都は碁盤目になっているから道に迷わない、とよく言うけれど、方角を間違えたらアウトじゃないか。あるはずのものが、ない。そうなるともはや、碁盤目なんて溶けて、ぐるぐるの迷路。一度駅に戻ったりして、なんとか辿り着く。模型がたくさん置いてあるとの事前情報に間違いはなく、観るだけで楽しめる博物館だった。


 2日目。
 一年に一度、この時期しか観られないという正倉院のお宝に会うべく、奈良へ向う。まずは法隆寺。駅のインフォメーションセンターで法隆寺への行き方を聞いたら、質問を勘違いされて、バス停一つ分無駄に歩く羽目に。いくらドイツ人と四六時中一緒にいたからって、そんなに酷い日本語だったとは思えないのだが。何はともあれ、法隆寺。寺というか、街じゃないか! ご本尊が置いてある金堂や五重塔は、中が暗くて見えない。懐中電灯と双眼鏡を持っていくべきだった。聖徳太子が建てたそうだが、目的は仏教を布教すると共に、中国式の統治体制を導入することだったとか。それまで国家の宗教は神道だけだったが、聖徳太子は当時最先端だった中国の支配体系に仏教が不可欠だったことを知っていたのだろう。神道と仏教の混合が、法隆寺建立のあたりから始まったと考えると、日本史の流れが掴みやすくなりそうだ。今思い出したが、日本では日本史を、年号やその時代の有名人によって整理するが、知り合いが観たアメリカかどっかで作られたテレビ番組では、日本史を宗教の変遷を追いながら解説していたとか。「正しい歴史の見方」などというのが存在するとは思わないが、年号や時代の名称よりも、宗教から日本史を眺める方が分かりやすいような気がする。
 話は逸れたが、法隆寺を観た後は東大寺へ。でかい。とにかくでかい。大仏もさることながら、門の仁王像。どうしてこんなにでかいのか。誰かが69日で仕上げちゃったとのこと。大仏がでかい(同語反復か‥‥)のはともかく、両脇の木彫りの像に何故か惹かれた。大仏の横顔を見上げながら、「この仏の鼻糞よりは自分は大きい」と想像して楽しんだ。
 正倉院展は物凄い人。最後の週末とあって、入るまでにまず長蛇の列。中に入ると、どのショーケースにも人が貼り付いている。多くの「国宝」の出身国が日本でないことを知り、思わず苦笑い。
 京都へ帰る途中、伏見に寄って日本酒を出す鳥せいというお店へ。ここでも相変わらず迷ったため、道ばたでチャリを降りて会話していたカップルに道を聞く。すると、途中まで連れてってくれた。なんて優しい人だろう! さてこの店、予約不可とのことで30分くらい待った。樽から出された新鮮な日本酒は、いくらでも呑めそうなくらい、くちあたりが柔らかい。


 3日目。
 嵐山のもみじ祭へ。想像以上に盛り上がっていた。川に舟が出て、その上で平安貴族の格好をした人たちが、雅楽の演奏や舞いを披露してくれる。湯豆腐を出す店が並ぶのを前に、屋台のお好み焼きを喰う。今回の旅、食事に関しては涙ながらにドイツ人の舌を尊重。昼飯の後、神道の祭り開始の儀式なんかも見られたし、日本酒も振る舞われた。昨夜のに比べると大分味が落ちるが、昼間から呑む酒はいつでも良いもんだ。コロッケや串カツを口に入れながら、龍(竜)安寺へと向う。石庭。人が多過ぎたし、デリカシーのないやつがいて、物凄く五月蝿かった。庭を前に腰掛け、しーんとした空気の中で眼を閉じて‥‥、などというのは夢のまた夢。とりあえず、石の数だけ数えておいた。写真が想像させる大きさより大分小さかった。色々なアングルから眺めたかったが、縁側は人で埋まっていたので断念。ところで、この庭にはナゾが多いとか言うけれど、私にしてみれば「石で庭つくろう」という発想そのものがまずナゾだ。とりあえず、あの繊細な小石の模様などから言って、歩き回る庭ではない。石庭はひたすら手入れし、観るか感じるかする庭なのだろう。全てが計算され尽くした、一つのアートとして見ればいいのかな。だとするとやはり、人が少ない時期を狙い、じっくりと味わうべき庭なのだろう。
 龍安寺から歩いて金閣寺へ。北野天満宮へも行くつもりにしていたが、こちらは時間の都合で諦めた。金閣寺は予想通り、やり過ぎ。でずにーらんどじゃあるまいし、品のない金。もしかしたら、朝日や夕日に輝くと奇麗なのかも知れないが、この日の午後は曇りだった。金閣寺の周りを囲う池には小さな島がいくつかあって、盆栽を大きくしたような木が植えられている。チケットを買うときに貰った多国語併記パンフには、放火されたとの記述がない。放火は隠しておきたい事実なのだろうか?
 ライトアップを一ヶ所は見ておきたかったので、この日は夜、永観堂へ。タイミング良く、池に架けられた石橋の上での雅楽の演奏を、お茶や甘酒をいただきながら、聞くことができた。その後、お堂をいくつか回っていたら、「みかえり阿弥陀」というのがあった。正面から見て右を向いている仏像だ。これは見慣れない。自分のいる位置を確認している、ついてこれない者を気遣っている、など色々な理由から振り向いているそうだ。小振りの仏像ながら、奈良の大仏よりも揺るがせるものがあった。そういえば、奈良の大仏は一度、首がもげたことがあったそうだ。さぞかし恐れおののいただろうなぁ。


 4日目。
 宇治は、平等院。10円玉の表に刻印されている寺院だ。誰かの別荘だった建物を寺化したとか。池を挟んで正面からは仏像の顔が見えるようになっている。仏像の周りの壁には、雲に乗った菩薩が52体あったそうだ。今は一部が平等院の博物館に保存されている。菩薩たちは楽器を持っていたり、踊っていたりと、極楽を演出していたんだとか。黄金の仏像に壁に浮く数々の菩薩、カラフルな装飾、鏡や建築による光の反射がかもし出していたであろう美しさ。想像するだけで当時の世界にタイムスリップできそうだ。ここの博物館には平等院の屋根についている鳳凰も保存されているのだが、下から鳥を見上げるような、なかなかいい高さに置かれている。手塚治虫の『火の鳥』を思い出しながら、しっかり睨まれて来た。平等院の門のすぐ前のお店で茶ソバならぬ、茶うどんをいただく。やっぱ茶ソバにするべきだった‥‥。
 平等院の後だと少々興醒めしてしまうが、河を渡り宇治上神社へ。途中、七五三の参拝帰りの女の子に遭遇。着物姿を写真に収めようとする白人にびびったのか顔を背ける娘を見て母親が言う。「ほら、外人さん、写真アメリカに持って帰るんやで。」ドイツでごめんねー。白人=英語喋る=アメリカ人という方程式が頑なに彼らの頭にインプットされているのだろう‥‥。
 お次は、萬福寺へ。宇治から歩いていくのは無理だとのことで、電車に乗る。黄檗宗の総本山? 坊さんの説明を聞くことができた。江戸時代、禅宗は廃れてしまっていたため、ある僧が中国へ渡り、学び直して来た。で、徳川幕府の支援を得て、この地に萬福寺を建立。全て中国式で、例えば畳がなく、回るテーブルこそないものの、椅子に坐ってお食事をいただく。一説によれば、ここから一膳一膳ではなく、ちゃぶ台などの食卓形式が日本に広まったんだとか。またお経も中国式の発音だそうだ。ご本尊は日本で言うところの布袋さんだが、中国では彼は、行く先々で人を助けた僧のことで、菩薩なんだそう。
 この寺は、「見せる」ための寺ではなく、アクチュアルに禅僧が生活している、「生きた」寺という感じがした。そこら中にある叩き物は飾りでも見世物でもなく、時を報せるのに実際に使われている。また、建物などの写真は撮ってもいいが、修行僧は絶対に撮らないようにということだった。運良く夕方のお経を読む儀式に立ち会うことができた。本堂の中で生臭かもしれないけれど、坊さんがやって来てお経を読んでいるというのに、ばあさん団体は、がさごそざわざわ五月蝿いのなんの。相当耳が遠いのか、儀式というものに敬意を払う気が全くないのか。賽銭だけはじゃんじゃか投げて、有り難そうに手を合わせている割には、お堂内でのデリカシーがない。呆れた。
 夕方に京都駅へ帰ってこれたので、知恩院のライトアップへと足を運ぶ。が、拝観料が八百円。これは少々高過ぎるということで、門だけ拝んでホテルへ。最後の日くらいは美味しいもんを食べたかったので、ホテルへ「生魚絶対拒否」の二人を送り届けた後、独りで寿司を喰いにいった。回転寿司の割には良い。日本酒で勢いに乗ったのか、12皿も平らげた。


 5日目。
 疲れもたまったのか、「今日は寺は一つで十分」と言われ、南禅寺を諦める。「ハンドクラフトセンター」を目指して歩く。道中、特別警戒中の警官が、ドイツ人夫婦にパスポートを見せるように要求してきた。私は身分証明すら求められなかった。何でだろう? 私がベトナム人だったらどうする?
 さて、工芸センターの近くまで来たものの、また迷った。生憎、施設の正式名称が分からなかったのだが、近所の人なら分かるだろうと思い、タバコ屋のおばあちゃんに「この辺に、京都の伝統工芸を見たり買ったりできるところがあると聞いたのですが、知りませんか?」と尋ねてみた。すると、「行き先が分かってないと教えたらあかんのや。あの、ブッシュさんが来るやろ」とよく分からない返事。そこで、「じゃぁこの辺で何か、伝統工芸を見られる所があったら教えてもらえませんか?」と聞く。が、相変わらず、ブッシュが来るから今日はやってないかも知れないだの、行き先が明瞭でない人に紹介したらいけないんだの。おばあちゃんは誰かに言われた通りの対応をしているのだろうが、無条件に疑われるとむかつく。
 諦めて裏道をプラプラし、大通りへ出たところで「ハンドクラフトセンター」発見。伝統工芸の実演と販売をやっている外国人向けに作られた建物で、多言語での説明があったし、申請すれば、税金も戻ってくる。
 色々観たところで、バスに乗り、祇園のあたりで下車。歩いて清水寺に向った。清水寺は正直なところ、行くまでの坂道にひしめく店の方が楽しい。しかしながら、あのデッキから眺める景色はナイスだった。寒いので空気も澄んでいて、山まで奇麗に見渡すことができ、「あぁ、本当に盆地だ」と実感した。
 これでこの日は終わり。午後ギリギリまで見たり出来ると思ったのに残念だったが、仕方がない。京都駅の展望デッキや、伊勢丹なんかを見て時間を潰し、新幹線に乗車。お疲れ様でした。