これは日記ではない

 ブログというものの存在は随分前から知っていたが、自分の日記を不特定多数の人間に公開する、という態度が気持ち悪くて、ブログを読むことも、書くこともしないつもりだった。だがブログは、どうやら単なる日記ではなく、様々な情報が行き交う場のようだ。そこでここでは、日記というよりは、今まで書いてきた文章や、これから書いていくであろう文章を公開する場として利用してゆきたいと思う。
 一番の理想は、ここに定期的に新しい文章を載せることだ。しかし、それは恐らく不可能に近い。中断することはなくても、諸事情により文章が書けなくなることはよくあるからだ。いずれにせよ、多くの人びとが求めるような、おもしろおかしい日記がここに掲載されることはないので、悪しからず。
 これからどんな文章を書いていく予定なのかを高らかに宣言することは、残念ながらできない。なぜなら、いつもその場その場で思いついたことを書いているにすぎないからだ。ただ、私を刺激し、形にならぬインスピレーションのようなものを与えている書物について記しておくことはできる。
 まずは、ジル・ドゥルーズの『ニーチェと哲学』ニーチェと哲学である。2004年度の前期の授業で読んだのだが、読んでいる間は苦しくて苦しくて仕方なかった。授業後の空き時間になると、友人と二人で、「もう、ひも無しバンジーやろっかぁ」と溜め息まじりに話たものだ。難解な本だし、ドゥルーズの思想がニーチェの間に折り込まれていて何を言ってるのか、全くわからない。だが分かったところで、どうせまた落ち込むのだ。「がーん。そんなこと言われたらもう生きていけないじゃん。」そしてまた、ひも無しバンジーを夢想し始めるのだった。そしてそのことを先生にいってみたら、「自分自身の裁判官になるのが一番いけない」と言われて、もう八方ふさがりもいいところ。しかし、ここ数カ月、この本の凄さがポジティブに回帰してきて、この間など、ゼミ論文に苦しむなか寝る前に読んでみたら、物凄い息抜きになった程だ。
 もう1冊は、ルネ・シェレールの『歓待のユートピア歓待のユートピア―歓待神(ゼウス)礼讃だ。シェレールの膨大な知識には圧倒されてしまうが、その膨大な知識が爽やかなやり方でちりばめられていて、本当に美しい書物だ。こちらは2泊3日のゼミ合宿で読んだ。
 どちらの書物もちゃんと読み返したりしてはいないし、誰かに説明しろって言われても困ってしまうが、ふわっとした、形にならない印象を私に残していったということだけは言えると思う。
 では、もう書くことが思い付かないので、これをもって書き込み終了。